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佐倉市立美術館チラシ1

千葉県佐倉市立美術館でただいま矢部又吉の展覧会が開催中。現在の美術館のエントランスホールが彼の設計の旧川崎銀行佐倉支店であり、ちょうど100年前に建てられたものであることを記念して今回の展覧となったようです(ちょうど矢部又吉の生誕130周年でもあります)。

佐倉市立美術館 全体

佐倉市立美術館 ホール佐倉市立美術館 天井

矢部又吉的ポイントは
・妻木頼黄に師事し、工手学校(現・工学院大学)建築科卒業。
・父親の矢部國太郎は建築請負業で師匠も学んだドイツに留学後、父と建築事務所を開設。
・川崎財閥に気に入れて川崎銀行の建物を多く手掛ける。

矢部又吉というとちょっとマイナーで、それで「知られざる」とついているのだと思いますが、実際の建物名を挙げられると今まで見たことのある建物も多く、意外と身近。現在、ガラス製品で有名なハリオの本社も彼の手掛けた元・川崎貯蓄銀行富沢町支店。一般公開させていませんが、TVの散歩番組などでも割とよく紹介されています。
ハリオ本社

川崎銀行との繋がりが深く(その縁で川崎財閥の重役の娘さんと結婚している!)、こぶりでしっかりした建物建築を多く手掛けたことが現在も残っている要因でしょうか。

変わった特色としては、変則的に残っているものが結構あること。
1.川崎銀行本店→一部は明治村で展示、一部がもとの場所(現:スターツ日本橋ビルで高島屋のウォッチ館)で部分的な資材を組み直し(再構成の際に比率がおかしくなっている)。
スターツビル

2.川崎第百銀行横浜支店→2004年大和ハウスの21階建てマンションとなり取り壊されたものの、銀行の外装は再現
3.川崎銀行横浜支店→現:損保ジャパン日本興亜横浜馬車道ビルに1989年建て替えの際、ファサード2面のみ組み直し。なお、損保ジャパン日本興亜はもとをたどれば日本火災保険でありこれを設立したのは川崎財閥。
4.ストロング商会→現:ダイワロイネットホテル横浜公園に2009年建て替えの際、外観再現

建築関係の展覧会というとどうしても写真と設計図が中心になってしまい、平面的になってしまいますが、今回は模型はもちろん、本人がデザインした島薗邸の机や泰明商会の机や椅子なども展示。また、ストロング商会のように建て替えによって出た部材などの展示もありました。
佐倉市立美術館チラシ2

写真の展示で強く印象に残ったのは、旧川崎財閥の別荘群。葉山・湯ヶ原・那須の別邸(すべて皇室の御用邸がある土地です。その関係で周辺にどこの馬の骨とも分からぬものに土地は売らず、政治家や財閥などだけが買えた模様)は今でも現存&川崎家の持ち物のため一般公開はされていないようです。
戦時中の統合で銀行がなくなったり、戦後の財閥解体で財閥自体はなくなったりと、経済の表舞台からは消えたものの、不動産は、なお膨大に持っていたことから「川崎定徳」という資産管理会社として現在も存続。
それでいまも葉山のような素敵な洋館を維持できるのでしょうか。

もう一つ印象に残ったのは、矢部建築事務所のドラフトマン(基本設計をまとめる設計者と区別し、図面引き作業が専門で、おもに基本設計以降の各種詳細図などを書く人)内田進の作図の文字。このままフォントにしたらいいんじゃないかと思うほど。大正モダンとかファンタジー系の表紙などにピッタリなおしゃれな感じ。

(参考文献) 知られざるドイツ建築の継承者-矢部又吉と佐倉の近代建築 図録

(今日のおまけ)
2019年1月24日に佐原で川崎銀行に関するフォーラムが開催されます(クリックすると大きくなります)。
銀行統制の時代1銀行統制の時代2
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佐倉高校 正面
千葉県立佐倉高等学校記念館が年に一度の内部公開日ということで行って来ました。

佐倉高校 斜め
こちらの高校は前身を遡ると大変歴史のある学校で、このブログでも紹介することのある伊東忠太の出身校(当時の名は鹿山精舎。のちに鹿山中学校と改称。在学:明治12年~14年)でもあります。

佐倉高校 玄関佐倉高校 校舎
近年では長嶋茂雄さんや藤木直人さんの出身校としても知られています。

佐倉高校 左佐倉高校 2階作法室から

佐倉高校 堀田銅像前庭に最後の佐倉藩主・堀田正倫(まさとも)の像があります。正倫は佐倉高校・・・というよりも近代佐倉の発展を語る上で欠かせない人物で、私財を投じて農事試験場を作ったり、佐倉中(現佐倉高校)に寄付をしました。
当時の中学校は手狭だったものの、移転する資金がないということで堀田家から校舎建設資金4万円、敷地購入費2千円が寄付されたそうです。

建てたのは当時・千葉県技師であった久野節(くのみさお)と後藤政ニ郎。久野は後に鉄道省初代建築課長となった人で他に現存する建物としては高島屋大阪店や東武浅草駅、そして蒲郡クラシックホテルなどがあります。

佐倉高校 受付佐倉高校 覆輪目地
煉瓦部分の目地は東京駅でも見られる、高度な技術を要する覆輪目地になっています。

佐倉高校 階段佐倉高校 廊下
佐倉高校 作法室佐倉高校 作法室から
建物は現役で応接室や自習室もありました。作法室などもあって内部の全体の雰囲気は以前見学した旧千葉県立安房南高等学校木造校舎に似ています。

佐倉高校 応接室佐倉高校 教師の机
応接室には旧館で使われていた教師の机や修復前のスレート瓦(雄勝産)など展示。
楕円を縦に配したモダンな照明が印象的。

佐倉高校 記念 (建築データ)
 竣工:1910年(明治43年)
 所在地:千葉県佐倉市鍋山町18
 設計:久野節・後藤政ニ郎
 構造:木造2階建て
 備考:国登録有形文化財





全農佐倉(今日のおまけ)
高校から15分?くらい歩いた所にあるバットレスのようなものが着いた建物。上げ下げ窓があることからかなり古いものと思われます。

(参考文献)
奈良3
奈良2
奈良1

本日からクラウドファンディングのミュージックセキュリティーズで「旧奈良監獄プロジェクト」の募集が開始されました。一口5000円。通常の案件ですと分配金がありますが、こちらは寄付型で配当はありません。
ただし、支援して頂いた方を対象とした特別見学会等を開催予定とのこと。
私はもともとミュージックセキュリティーズに登録していて、これまでの支払い留保金があったので、早速一口申し込んでみました。
奈良は遠いので見学会に行けるかどうかは怪しいですが、まあ寄付もいいかなと。
募集期間は100日あるので今から開設しても応募には間に合いそうですよ!
旧奈良監獄プロジェクト https://www.securite.jp/narakangoku/?mail=R20181123

奈良4
奈良5
奈良6
奈良7
奈良監獄オフィシャルサイト http://former-nara-prison.com/ 
門
※今年は曇りだったので去年の写真を中心に掲載しています(太鼓のは今年の)。

門 左
年に一度の千葉刑務所矯正展へ行って来ました。ここ何年かよく行っているのですが、今年はレイアウトが大きく変わり、中庭は飲食系の出店や雑貨&ワークショップ、門の外に矯正展の物品が売っていました。塀沿いの花・野菜・古着などの販売は例年と同じでした。

門 右
たぶん来年は来ないかもしれないと思ってちょっとがんばり開場時間の9時半に行ってみたのですが、(買い物ではなく)刑務所見学の列は既にかなり並んでいて、この時間帯ではもらえる整理券は1時以降のものだったようです。午前中の見学希望の場合、かなり早い時間に並ばないと難しそう。

門
門
こちらの建物は1907年(明治40年)に竣工。明治の五大監獄(千葉・金沢・奈良・長崎・鹿児島)で唯一現役の刑務所です。
と言っても現存は門と本館のみ。藤森先生の『建築探偵東奔西走』には事務棟の写真も載っていましたが、この30年で失われたようです。

本館 全体
・当初監獄は寒川片町にあったが、湿度や潮風で監獄に病気が蔓延しやすかったため、台地で乾燥した現在の貝塚町へ移転された。

本館 中央
・設計者の山下啓次郎は明治35年、司法省の営繕課長に就任し、監獄建築視察のためヨーロッパへ

本館 サイド
・明治24年から工事が始められ、当初は29年に完成予定だったが、日露戦争の影響もあって工期が遅れ、明治40年の完成となった。

塔
五大監獄はどれも立派な造りだったようです(長崎・鹿児島は正門のみ現存)が、その背景には治外法権(とりわけ治外法権)の撤廃に向けた目論見があったようです。
藤森先生曰く「監獄が文明度の物差しだった」そう。以前、林修先生の『初耳学』で奈良刑務所が取り上げられた時にもちょうど同じことを言及していました。
幕末に結んだ不平等条約を早く撤廃するには日本が欧米の国々と対等なレベルであるとアピールしなければならなかった訳で、そのうち有名なものが(失敗だったけれど)鹿鳴館だったりしますが、どうやら対等基準の一つにあげられるものとして監獄があったようです。
当時の日本の監獄と言えば木造で冬などめちゃくちゃ寒く、火事のときは身の危険もある人権無視ムシ施設でした。これを西洋の建築で立派に造り防寒や採光・風通しなど囚人の生活に配慮した文化レベルの高いものにすることで「法治国家」日本をアピールそうです。

側面
ちなみにこの時の初耳クイズは「監獄をオシャレにしたことで犯罪が激減した」のは何故か、というかなり分かりにくい出題した。答えとしては、従来の日本の監獄ではひどすぎて、こんなところに自国の民を入れるのは許せん!→だから治外法権は撤廃できない→いつまでたっても犯罪を犯す外国人を取り締まれない→なら立派でオシャレな監獄を造ってやる!→(その効果もあってか)治外法権が撤廃されて外国人も逮捕できるようになった→外国人のやりたい放題の犯罪が減った・・・ということなんでしょうか。
林先生はこの問題、残念ながら初耳だったのですが、さすがただじゃ起きない男、「構造的にはパノプティコンを思い出させる」と聞いたこともない単語でみなを煙に巻いていました。
なお、パノプティコンとは一望監視施設。千葉ではもう残っていない放射線状の獄舎が奈良には残っていて、2階の中央看守所からだと第一寮~第五寮すべてを見渡せて受刑者を見張るのに適した構造だそうです。

通気口
たくさんの施設が残っている奈良刑務所は2017年3月で刑務所としての役目を終え、2020年にホテルとしてオープン予定です。

●関連文献


●今日のおまけ
五大監獄に関して有名なここと言えば、すべての設計を手掛けた山下啓次郎はジャズピアニスト・山下洋輔のおじいさんだということ。その祖父や鹿児島刑務所のことを記した『ドバラダ門』という著書が面白いそうなので機会を見つけて読みたいと思います。
2018.09.01 ●静嘉堂文庫
静嘉堂 門
もうほぼ終わりかけですが・・・静嘉堂文庫美術館で「明治からの贈り物」を観てきました。
こじんまりとした美術館でその分、入館料も安いです。集中力が切れないうちに見終わる広さで個人的にはベストサイズ。明治の超絶技巧が好きなので、「美の巨人たち」でおなじみの柴田是眞、涛川惣助、海野勝珉のなど作品が見られたのも良かったです。

近代建築と関わりが深い作品というと、のちに開東閣(岩崎彌之助邸)のビリヤード室を飾った黒田清輝の「裸体婦人像」とコンドルの絵の先生であった河鍋暁斎の「地獄極楽めぐり図」、湯島にある旧岩崎邸の和館・大広間にある「富士に波」も描いた橋本雅邦の「竜虎図屏風」、コンドルが手掛けた弥之助墓所前にある大きな香炉を手掛けた岡崎雪聲の「唐銅龍鳳文環耳瓶」などがあります・・・と列挙していき気づきましたが、これらはちょうどすべてチラシに掲載されていますわ。

チラシ表チラシ裏
※画像をクリックすると大きくなります。

「裸体婦人像」の横には大きく当時のビリヤード室の写真が展示されていました。開東閣は一般公開されていませんが、されていたとしても、火事で内装はすべて焼けてしまったことを考えると、昔をしのぶ貴重な一枚です。

静嘉堂文庫1

たいと美術館のお隣には大正13年に建てられた静嘉堂文庫があります。こちらは普段中には入れませんが、何年か前、文化財ウィークで中に入れてもらったことがあり、いろいろ説明を受けましたはずですが、覚えているのは今でも研究者に門戸を開けていることと、日本で一番画数の多い漢字はなんでしょうというクイズが出たことくらい・・・。
答えは「たいと」。総画数84画。日本人の苗字とされていますが、意味はないみたいです。

静嘉堂文庫2
裏手。大正13年らしく当時はやりのスクラッチタイル。設計は三菱の丸ビルも手掛けた桜井小太郎。和漢の古典籍が納められている。特徴としては個人が収集した蔵書を、散逸を防ぐため一括購入していたこと。

静嘉堂文庫3
1988年発行の藤森先生の「建築探偵東奔西走」の写真では2階窓、タイル3段下くらいまでだった植木が今は窓の真ん中あたりまできてます。ちょうど30年でそれだけ育ったということですね。正直言うと、建物より何より、どうやってあの高さの植木をこんもりキレイに切り揃えているんだろうと、そちらのほうがよっぽど気になって仕方ありませんでした。。。。

岩崎家霊廟 全体
庭の奥へ進むと岩崎家の霊廟。明治43年、岩崎小彌太が父・彌之助の三回忌法要にあたって建立した(設計:ジョサイア・コンドル)。

岩崎家霊廟 二十四考岩崎家霊廟 二十四考
中国故事「二十四考」が扉に描かれている。孝行が特に優れた人物24人。

岩崎家霊廟 香炉
青銅製大香炉。中国の殷周時代の鼎にならったもの。内側には寄進者名が鋳出されている。あまりの大きさに当時新聞でも話題になった。

(今日のおまけ)
岩崎家霊廟 香炉
香炉のそのフォルム、「おしりたんてい」に激似・・・

(参考文献)