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2018.09.01 ●静嘉堂文庫
静嘉堂 門
もうほぼ終わりかけですが・・・静嘉堂文庫美術館で「明治からの贈り物」を観てきました。
こじんまりとした美術館でその分、入館料も安いです。集中力が切れないうちに見終わる広さで個人的にはベストサイズ。明治の超絶技巧が好きなので、「美の巨人たち」でおなじみの柴田是眞、涛川惣助、海野勝珉のなど作品が見られたのも良かったです。

近代建築と関わりが深い作品というと、のちに開東閣(岩崎彌之助邸)のビリヤード室を飾った黒田清輝の「裸体婦人像」とコンドルの絵の先生であった河鍋暁斎の「地獄極楽めぐり図」、湯島にある旧岩崎邸の和館・大広間にある「富士に波」も描いた橋本雅邦の「竜虎図屏風」、コンドルが手掛けた弥之助墓所前にある大きな香炉を手掛けた岡崎雪聲の「唐銅龍鳳文環耳瓶」などがあります・・・と列挙していき気づきましたが、これらはちょうどすべてチラシに掲載されていますわ。

チラシ表チラシ裏
※画像をクリックすると大きくなります。

「裸体婦人像」の横には大きく当時のビリヤード室の写真が展示されていました。開東閣は一般公開されていませんが、されていたとしても、火事で内装はすべて焼けてしまったことを考えると、昔をしのぶ貴重な一枚です。

静嘉堂文庫1

たいと美術館のお隣には大正13年に建てられた静嘉堂文庫があります。こちらは普段中には入れませんが、何年か前、文化財ウィークで中に入れてもらったことがあり、いろいろ説明を受けましたはずですが、覚えているのは今でも研究者に門戸を開けていることと、日本で一番画数の多い漢字はなんでしょうというクイズが出たことくらい・・・。
答えは「たいと」。総画数84画。日本人の苗字とされていますが、意味はないみたいです。

静嘉堂文庫2
裏手。大正13年らしく当時はやりのスクラッチタイル。設計は三菱の丸ビルも手掛けた桜井小太郎。和漢の古典籍が納められている。特徴としては個人が収集した蔵書を、散逸を防ぐため一括購入していたこと。

静嘉堂文庫3
1988年発行の藤森先生の「建築探偵東奔西走」の写真では2階窓、タイル3段下くらいまでだった植木が今は窓の真ん中あたりまできてます。ちょうど30年でそれだけ育ったということですね。正直言うと、建物より何より、どうやってあの高さの植木をこんもりキレイに切り揃えているんだろうと、そちらのほうがよっぽど気になって仕方ありませんでした。。。。

岩崎家霊廟 全体
庭の奥へ進むと岩崎家の霊廟。明治43年、岩崎小彌太が父・彌之助の三回忌法要にあたって建立した(設計:ジョサイア・コンドル)。

岩崎家霊廟 二十四考岩崎家霊廟 二十四考
中国故事「二十四考」が扉に描かれている。孝行が特に優れた人物24人。

岩崎家霊廟 香炉
青銅製大香炉。中国の殷周時代の鼎にならったもの。内側には寄進者名が鋳出されている。あまりの大きさに当時新聞でも話題になった。

(今日のおまけ)
岩崎家霊廟 香炉
香炉のそのフォルム、「おしりたんてい」に激似・・・

(参考文献)
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(その1)より続き

●高輪消防署二本榎出張所(港区高輪2-6-16 昭和8年)
高輪消防署二本榎出張所
今回はさらっと通っただけなのですが、数年前、グループでこの周辺を見学して回っていた時、外観だけ見て終わるつもりが、どうやら頼めばガイドしてくれるみたい、と、成り行きで見学させてもらったことがあります。
2階には昔の火消し道具などが展示されていて半纏や半鐘がありました。そういえばキャンプカーみたいになっている消防車の中も見せてもらいましたっけ。
なお、現代では火の見櫓は必要なくなってしまったため、このように残ってるのは、大変珍しく、保存されたのは貴重であるようです。

●日本基督教団高輪教会(港区高輪3-15-15 昭和7年) 
高輪教会
あ、なんかライトっぽいデザインの建物!と思ったら彼のもとで学んだ岡見健彦の設計。
『東京建築ガイドマップ』によると、この建物がライトの影響をかなり受けているのは、昭和3年~5年までタリアセンで学び、日本に戻ってきて間もない頃の作品だからではないかとのこと。ライトっぽい教会としては日本で最初のものだそうです。

●旧竹田宮邸「高輪貴賓館」(港区高輪3-13-1 明治44年)
竹田宮邸 01
この辺りは江戸時代は土佐藩の武家屋敷あったそうです。そのあと後藤象二郎邸を経て、明治31年に皇室の御用地となりました。
明治40年に御用邸を建てはじめましたが、その建設中にこの地はそれぞれ明治天皇の内親王と結婚した竹田宮恒久王・北白川宮成久王・朝香宮鳩彦王の三宮家に分け与えられました。
現在その跡地にできたのがプリンスホテルですが、同じ一つの敷地にありながら名称はあえて「グランドプリンスホテル高輪、グランドプリンスホテル新高輪」とわけているのは高輪が竹田宮、新高輪が北白川宮の跡地だからだそうです。

竹田宮邸 02
建設中だった建物は明治44年完成し竹田宮家に下賜されました。かつては現在残る洋館のすぐ隣に三連の和館が平屋で表御殿・中御殿・奥御殿と並んでいたそうです。残念ながら旧北白川宮邸も取り壊されてしまい今はありません。設計は両方とも皇族のものだけあって宮内省内匠寮があたりました。一般には設計者としてまず名前が挙がるのは内匠頭の片山東熊ですが、実質的な設計は木子幸三郎がしたようです。フランスバロック風ルネサンス様式。

竹田宮邸 03
残念ながら中は撮影禁止だったので、画像がなくて申し訳ないのですけども、内装は迎賓館を訪れた人ならまず『似てる』と思うに違いありません。迎賓館が片山東熊の代表作なので似ていて当然なのですが、設計時期が迎賓館の工事が完成に差し掛かった頃というのも大きいようです。
一番分わかりやすく『似てる』と思わせるのは白漆喰に黄金の花綱装飾という華やかさ。よく考えると、この取り合わせって、ほかのどの豪華な洋館でもあまり見かけませんし、これにふさわしいのはやはり皇室だけな気もします。

竹田宮邸 04
こちらは普段、宴席・会議専用ということで一般利用はできません。確実に見る方法は今回のツアーに参加することです(笑)。
あとは結婚式にお呼ばれされるとか。ただその場合、2階は開放されないようですし、今回はバックヤードといいますか、普段見せないところも見られたのがツアー特権でした。例えばかつてのトイレや共同浴場は倉庫になってたりとか、2階の妃殿下の寝室・パウダールームさえ倉庫・パントリーになってたりとか。使用人の部屋が改装の際、トイレに作り直されたのとかはまあ、やむなしと思いますが、やんごとなきお方のお部屋が倉庫になっているのはちょっと寂しいかも(^_^;
非公開部分としては配膳用の螺旋階段も見せて頂きました。今は花屋さんが使っている地下はかつては厨房だったそうです。階段はものすごい急勾配だし狭かったので、ここを料理を持って上り下りするのは大変だったろうと思います。

竹田宮邸 05
改修は昭和46年、村野藤吾によって行われました。なお、迎賓館の改修も村野藤吾ですが、新高輪プリンスホテルは彼の設計です。大昔、とある歌手のディナーショーで飛天の間に行ったことがあります。なんとステージのかぶりつきという垂涎の席で見られたのですが、それはチケットを、私の知り合いのそのまた知り合いの女性のおじさんがかおじいさんだかがここを建てた人だからから取れたんだよ、と言われたのを久しぶりにプリンスに来て思い出しました。
そのころは建築に興味がなく、『なんか派手な建物・・・』としか思わなかったのですが、今にすればあの隣のテーブルに座っていたあの人は村野さんの親族だったのか~~。なんでもいいからエピソードの一つでも聞いていれば・・・と悔恨。

竹田宮邸 06
チャペルは一部改装。完全オリジナルなのは床と椅子で、椅子の真ん中についている太陽みたいなマークが竹田宮の紋章?だそう。2階にある一部のソファなども現存品。
桐の間、橘の間など、各部屋はもともとの名称を引き継いでいますが、菊の間だけは改称されたとのことでした(何に変わったのかは失念・・・)。いっしょに見学していた参加者が「菊だと恐れ多いから?」と言っていました。たしかにそんな理由かもしれませんね。

竹田宮邸 07
2階のベランダの柵はかなり低いです。これは、当時、高台にあるこの洋館からは品川の海が見渡せたので、わざと低くして、(多分ロッキングチェアなどに座っても)景色がよく見えるようにしたそうです。
今は庭に結婚式用の浅いプールが眼下にあって、もっぱら披露宴や挙式の時、上からの写真撮影に使う空間となっているそうです。ということで、こちらもツアーならではの見学スポットでした。 

(参考文献)


(今日のおまけ)
●松島屋(港区高輪1-5-25)
松島屋松島屋 ビラ
さんぽの途中でガイドさんが東京三大大福として有名な松島屋(ほか2店は護国寺群林堂、原宿瑞穂)へ寄ってくれました♪
松島屋は1918年創業の老舗で今月でちょうど今年で100周年! 
7/31-8/2の間、感謝を込めて大福が(?)100円になるそうです。
午前中に売り切れることも珍しくないそうですが、この日は暑かったためか?、まだ売っており、ツアー参加者もちらほら買っておりました。私は幸運にも当日、大福を頂く機会に恵まれまして、家族によいお土産が出来ました。大変おいしゅうございました。おご馳走様!!
クラブツーリズムの上記ツアーに参加してきました。
おひとり様 参加費 8,980円。なお、9月4日、20日にも同じコースがあります。

●品川プリンスホテル39階最上階 「TABLE9 TOKYO」
ツアーは去年12月にオープンしたばかりのTABLE9 TOKYOからスタート。のっけからランチ食べるのかなと思ったら、レストラン内をぐるっと360度案内して頂きました。お店の総称通り9つに分かれていて、ダイニングのほか、グリルや個室、バーなど見学。
近代建築ファンとしては内装より、窓からコンドル設計の島津邸と開東閣を見られたのがポイント高かったです(笑)。特に、開東閣側は普段、夜しかオープンしていないそうで、昼間の開東閣を上から眺められて良かったです。

島津邸
清泉女子大にある島津邸。食事をとったTOKYO FUSION DININGから撮影。

開東閣開東閣アップ
旧岩崎家高輪別邸・開東閣。三菱グループが所有しており、基本一般人は入れません。

見学が終わるとお昼です。あとで伺った話によると4500円のランチとのことだったのですが、HPをみたらサービス料別途13%とありました。ということは実際は5000円超。自分の中でサービス料10%でそこそこ高級店、13%はかなり高級店、15%は超高級店というイメージなので、ここは結構な高級店ざます。ま、正直、取りすぎと思うけど。。。

TOKYO FUSION DINING 二重箱TOKYO FUSION DINING 前菜TOKYO FUSION DINING ビュッフェ
二段重のお楽しみボックス / 新鮮野菜をブッフェから
重箱にはキャビアやフォアグラなどが入っていました。さすがそれなりのお金を取るだけはありますな。ツアー客にはブッフェで取れるものを予めお皿に盛りつけてサーブしてくれます。ビュッフェも利用可。

TOKYO FUSION DINING メインTOKYO FUSION DINING デザートTOKYO FUSION DINING 
ブッフェへ取りに行っている間にメインディッシュが来てしまい、説明は聞きそびれてしまいましたが、HPによると、「真鯛のロースト 鮮やかなロメーヌレタスのソース フィヨルドルビーとヒアルロン酸ジュレのアクセント」とありました。ツアーでなく普通のお客様ですとメインディッシュは別のお品も選べるようです(重箱とメインはビュッフェではありません)。
ショートケーキ、ガトーショコラ、マカロン、パンナコッタ、カップスイーツ、その他焼き菓子など(デザートもビュッフェ利用可)。 コーヒーまたは紅茶。

●三徳部品(港区高輪3-22-4 第一京浜国道沿い)
三徳部品
三徳部品 アップ
食後、いよいよ専門ガイドさんとおさんぽ出発。
東禅寺の坂下で説明を受けていたところ、目の前に看板建築が目に入ってしまってガイドが耳に入りません~(^^; が!建築関係の説明になると急に頭に入ってきます! 看板建築がライオン看板とも呼ばれていたというのは初耳でした! 由来は「表から見るとライオンのタテガミのように立派なことから」だそうです。
なお、こちらの建物は藤森照信先生の『看板建築』に出てきます(残念ながら「安易な看板建築」と評されていますが)。

●ドウシシャ(港区高輪2-21-46 第一京浜国道沿い)
ドウシシャ
江戸時代に高輪海岸に沿って作られた石垣石の説明などの後、しばらく第一京浜国道沿いを歩いていると、コンポジット式の付け柱のある建物と遭遇。
ガイドによると関西が本拠地のドウシシャという会社の建物だそう(流通サービス業)。ちょうどこの日、帰宅するとお中元にカニ缶が届いていて、会社名をみたらドウシシャとあり、ちょっと縁を感じていろいろ調べてみたところ、こちらの建物、もともとは日本綜合地所の本社ビルだったのを2010年にドウシシャが取得したようです。
ドウシシャ アップコンポジット式だったので近代建築なのかと思ったのですが、竣工は2008年と意外と新しい。セットバックした部分が現代風なので、いわゆる墓石方式で古い建物を残したのかな?とも思いますが詳細は不明です。
・・・ちなみに日本綜合地所は施工の1年後に倒産。その1年後にドウシシャのものに。
合掌。。。



●泉岳寺
泉岳寺
浅野長矩墓や赤穂義士墓などがあって有名なお寺。
講堂は大正14年築の和洋折衷建築だそうですが見過ごしました・・・
この後移動して、大石内蔵助ほか16名が切腹した、熊本藩下屋敷跡も見学。

●堀江歯科医院(港区高輪2-2-27)堀江歯科医院
大正末期あたりの建物のようです。
もともとは歯科医院だったのではなく、「鈴木商店」関係者が建てたらしいです。
鈴木商店が破綻した昭和2年に今の医院に売却されたそうで、そうなるとやはり破綻が原因で売り渡したのでしょうか。
(その2)に続く。。。

(参考文献)
ライオン看板 ライオン看板(ゼロメガ刊 小林一郎著」) 

(今日のおまけ) ●承教寺(港区高輪2-8-2)
承教寺の狛件(こまくだん)承教寺の狛件(こまくだん)アップ
ツアーのメインは何と言っても旧竹田宮邸だったのですが、それ以外で一番強烈だったのが、こちらのお寺の狛犬ならぬ、狛件(こまくだん)。半人半牛の姿をした怪物で必ずあたる予言をするのだとか・・・。
ここの件は立派な髭?があってペルガモン博物館のラマッス像の横に置いても顔力だけなら負けない感じ。そして頭と体がアンバランスで怪しさ倍増! クレイモアの妖魔みたい。
や~、夜見たら怖すぎる・・・。
上高地帝国ホテル 模型
創業当時を再現した模型。
外観はほぼ踏襲して再建しましたが、現在との大きな違いは玄関の車寄せ部分が当時はなかったこと。
8年に1度、屋根の色を塗り替えるそうで、ペンキの色は帝国ホテル特注。
昨年正面玄関の屋根を塗り替えたのだとか。
今では開業が近づくと東京の帝国ホテルからトラック2台・段ボール1000個の荷物が運び込まれるそうです。

上高地帝国ホテル アルペンローゼ
レストランはフレンチ・和食・カジュアルレストランと分かれていますが、フレンチと和食は17:30~、19:30~といった感じの2部制になっています。18:45からのスライド上映会を見るため消去法でカジュアルレストランのアルペンローゼに入りました。
山小屋風なのは全棟共通で、赤いテーブルクロスが王道。

上高地帝国ホテル エビフライ上高地帝国ホテル ハンバーグ
上高地帝国ホテル 前菜上高地帝国ホテル チーズフォンデュ上高地帝国ホテル デザート
チーズフォンデュコースとエビフライ、ハンバーグを頼みました。チーズフォンデュは単品注文も可能ですが、コースだとちょっとおしゃれな前菜とデザートがつきます。これだけで十分食欲は満たされますが、よく考えるとメインディッシュのないコースではあります。火加減をお店の人がマメに見に来てくれて、最後はおこげになったチーズがなかなか美味しかったです。

上高地帝国ホテル 酒場上高地帝国ホテル バーホルン
上高地帝国ホテル バーホルン
朝は洋食を選ぶと、メインダイニングが会場となります。行くと、まずバーの方で待たされます。お店の名前通りホルンが飾ってあり、いかにも山岳リゾートっぽい感じ。

上高地帝国ホテル メインダイニング
しばらくしてメインダイニングに通されました。やっぱりここも山小屋風なのでメインといっても内装的にはそれほど目を引くものはありませんでした。

上高地帝国ホテル サラダ上高地帝国ホテル パン上高地帝国ホテル オムレツ
上高地帝国ホテル 目玉焼き上高地帝国ホテル スクランブル上高地帝国ホテル ヨーグルト
朝食はアメリカンブレックファースト。まあ正直、こういうところのメニューはどこも似たり寄ったりです。
ちょっと違うのは信州だけあって、もものジュースがあったこと。
卵料理などは選べるので、どうせだからと全部違えて頼んでみました(笑)。スクランブルエッグ、オムレツ、目玉焼き、ソーセージ、ハム、ベーコン。
私はソーセージを頼みましたが、結構スパイシーなものでおいしかったです。逆に、トースト・ブリオッシュ・クロワッサンはどれもビックリするくらい凡庸でした。ホテルの朝食ってどこもパンがおいしいというイメージだったので、裏切られた感100%でした。
ヨーグルトには控えめな色合いのキャラメルソースがかかっています。ヨーグルトは毎日ソースを変えているそうです。
ちなみにアメリカンブレックファーストで3200円ですが、開業当時は朝食1円50銭、昼食2円、夕食2円50銭だったそう。

●上高地帝国ホテル(その1 宿泊編)へ戻る

(参考文献)


●今日のおまけ
上高地帝国ホテル カレー表上高地帝国ホテル カレー裏
最近はどこへ行ってもご当地レトルトカレーが売っていて、近代建築関連で売っていたら必ず買ってコレクションしております。
上高地帝国ホテルでも、もちろん売っていたのですが・・・1つ1200円。さすが帝国ホテル、高っっ!! なので1つしか買いませんでした・・・。
ホテル名もお土産だとも何も言わずに母に食べさせたところ、ん!?何だか普通のカレーと違う、とってもおいしい、との感想でした。伊達じゃないね、帝国ホテル。
上高地帝国ホテル 小径
今年85周年の上高地帝国ホテルでは6月10日(日)~7月13日(金)の間、宿泊者対象にホテルの歴史スライド上映会が実施されるということで、行ってきました。

上高地帝国ホテル 正面
上高地帝国ホテルは昭和8年(1933年)開業の夏期限定ホテルです。

ホテルが建設された背景としては、一つに、昭和2年(1927年)、東京日日新聞社と大阪毎日新聞社が共催で読者から「日本新八景」の募集をしたところ、渓谷部門で上高地が一位となり、その名が一躍、全国的にメジャーになったこと。
もう一つに、昭和5年(1930年)頃から日本政府が外交政策&外貨獲得のため、政府融資による外国人向けホテルが全国各地に建設されていたことがあるようです。以前泊まった十和田ホテルもそうでした。今ある夏期限定ホテルってだいたいこの政策上作られたものという気がします。

上高地帝国ホテル 背面
そして昭和7年(1932年)、帝国ホテル社長だった大倉喜七郎がたまたま長野に行った際、長野県知事・石垣倉治から要請を受けてホテルの建設が決まったようです。
1年の半分を雪と氷に閉ざされるという、おおよそ経営的に好ましくないところにホテルが建ったのは、社長がバロンと呼ばれ道楽にお金をつぎ込む、あの大倉喜七郎だったからという面が感じ取れます。
道楽バロンと山岳リゾート。お似合いですわ。バロンは他にも同様の赤倉観光ホテルやゴルフリゾートの川奈ホテルも作っていますね。
そしてこれらの設計はすべて高橋貞太郎によるもの。大倉喜七郎というか帝国ホテル支配人・犬丸徹三との繋がりで作っていたのでしょうか。ほかに帝国ホテル第一新館も作っています。

その犬丸徹三は上高地へのホテル建設が決まると、すぐに視察へ来たそうで、中の湯から建設予定地まで県道を作ることを条件に要請を受け入れました。・・・というかまだ道もない、しかも冬は営業できないところによくぞ作ったなという感じです。
曰く「帝国ホテルとしては一応採算面を度外視しても、この建設と経営を敢行せざるを得ない事態に立ち至った(著書:ホテルと共に70年」)。

上高地帝国ホテル 工事
昭和8年5月17日に作業所が開設されました。
当初6か月半の工期とされていたいましたが、予定よりも融資が遅れて4か月で仕上げねばならない羽目に。
ほかの建物なら工期を延ばすことも出来たのでしょうが、夏季限定ホテルの建設を延ばしたら営業は翌年になってしまいますからなんとか突貫工事で乗り切りました。そのせいか、温泉の掘削をしてみたものの、時間がなくて温泉ホテルにはならなかったようです。残念。

なにもない所に大量の建築機材を運び込むのは大変で、工期も迫っていますから地元の業者だけでなく東京からもトラックを20台ほど派遣しなんとか間に合わせたようです。
木材1100トン その費用だけでも1万1200円(現代の価値で約1億円以上)。
7月21日に1階部分ほぼ出来上がり、5日後には2階部分、その4日後には3階部分、1か月後には外観まで出来上がったそうです。
9月30日完成。従業員22名にて10月6日開業(現在は106名で営業)。

上高地帝国ホテル グリンデルワルト正面
ロビーラウンジ・グリンデルワルト。のちの改修で外観は初代とほぼそっくりに立て替えられましたですが内部は全然違うようです。

上高地帝国ホテル グリンデルワルト上から
上高地帝国ホテル グリンデルワルト灰 暖炉の灰は石庭の波模様のよう。

上高地帝国ホテル ベランダ上高地帝国ホテル テラス
かつてのベランダ(共同のベランダで現在のように各部屋で独立していなかった)と現在のテラス(ラウンジの2階から出ることができる)。

上高地帝国ホテル 帳場上高地帝国ホテル フロント
かつての帳場と現在のフロント。

上高地帝国ホテル 図書室
宿泊者のみ入れる図書室。昔の写真やパンフレットなども飾られている。

上高地帝国ホテル エレベーター上高地帝国ホテル グリンデルワルト
エレベーターの内装はロビーラウンジ上部を模している。かつてはエレベーターホール付近がフロントだったそう。

上高地帝国ホテル タイプA1
泊まったのはツインAタイプ。本当はベランダ付きに泊まりたかったのですが、泊まろうと思い立ったのが10日前でもう予約は埋まっていました・・・。じゃ、どうせなら他のホテルではない、屋根の傾斜の天井の、とAタイプにしましたが、う~ん、やっぱりちょっと狭かったです。
ちなみに、創業当初の部屋数は全部で46室。うちバスルームがついているのは8室のみで14円(現在の価値で約14万円)。屋根裏にはスチューデントルーム(相部屋・2万円)があり、として主に登山する学生が利用していたそうです。

上高地帝国ホテル タイプA2
そうそう部屋にはなんと双眼鏡が備えてありました。さすが山岳リゾートホテル。
それと、夕食に出ている間にターンオーバーがありました。コンラッドに泊まった時、「ターンオーバーは何時になさいますか」と聞かれて、それまで超高いホテルに泊まったことがなかった私は『なんじゃそりゃ』、と恥をかいたものですが、まあ要するに「お休みの準備」ってやつですね。日本の旅館ではフツーにお客が夕食とっている間に布団を敷いてくれますが、ホテルだともうベッドはそこにあるのでターンオーバーとか言っても、ベッドカバー外すくらい?? あと、ベッドの脇にコイン型のチョコレートが置かれていました。

上高地帝国ホテル プレートそれから今年85周年だからか、売店で売っているのとは違う、やや小ぶりの記念プレートも置いてありました(後ろに写っているのはショップで買った85周年記念チョコ)。ショップになかったので宿泊者向けの非売品でしょうか。

上高地帝国ホテル(その2 食事編)へと続く。。。



(参考文献)


上高地 河童橋●今日のおまけ

ホテルから5分ほど歩いたところにある河童橋は芥川龍之介の『河童』の舞台としても有名です。

河童橋の名前の由来には、
(その1)河童が住んでいたから
(その2)橋ができるまでは、女性が頭の上にタオルをのせて渡った姿が河童に似ていたから
などの説があるようです。



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