2018.02.03
●中国 厦門(アモイ)コロンス島 旧日本領事館
2017年7月、中国の厦門(アモイ)にあるコロンス島が世界遺産に登録されました。
厦門はアヘン戦争後に結ばれた南京条約(1842年)で開港した5港の一つでした。1902年にはコロンス島が共同租界地となり、日米英独仏などの領事館が置かれました。それに伴い教会、商社、学校、病院などが建てられ、今もその多くが残っています。
外国人が多く住む島でしたが、華僑も家や別荘を建て、いろいろな影響を受けた独自の建築文化を発達させたことが世界遺産リスト登録につながったようです。
島へはフェリーで移動(往復で35元=約
665円)。
現地の人と観光客では乗り場が別になってお
り、何百人も乗ることができる大きなフェ
リーでしたが、すぐいっぱいになりました。
乗船時間はものの20分ほどですが、乗るには
パスポートの提示や身体検査があるなど、
空港並みの厳重体制。
フェリー乗り場のコロンス島の紹介パネル↓



厦門には珍しい、あいにくの冬の雨で岸を離れる光景は幻想的というか退廃的というか。
島内は車禁止で、歩くか電動バスでの移動。
1~2時間もあれば島一周できるくらいの大きさなので、特に不便はないです。
至る所が近代建築なので、途中からあまり珍しくなくなってしまった。。。
これはちょうど小樽の街中を散策したときのような心境。
クリックすると画像が大きくなります↓












日本の旧領事館は意外と地味なレンガ造りの建物でした。ただ、ほかの建物に比べ、敷地がだいぶ広いようです。




説明の看板はあったのですが、何を思ったか、
つい漢字で親近感のある中国語のほうだけ撮影
してしまい、書いてあることが何となくしか
分かりません・・・。字ずらで判明するのは、
・福島九成という人が主任領事であった(←調
べたところ佐賀藩出身の人のようです)。
・半地下がある。
・二階の西側には和室があった。
・19世紀末の領事館は外廊を作るのが流行
していた。
ということくらいですか。。。。
あと、別情報によると、戦後は厦門大学の先生方の宿舎だったこともあったようです。


同じように領事館のお隣、南西に位置する日本警察署及宿舎についてもよく分かりません。。。






(今日のおまけ) ●世界遺産 福健土楼・二宜楼


同じく世界遺産に登録(2008年)されている福健土楼のうちの、二宜楼(にきろう)にも行ってきました。
土楼は客家(はっか)の一族が西晋末期(4世紀)に戦乱を逃れるため南下し造り出した建築様式で、一般によく知られている円楼のほか、方形楼、五鳳楼があります。
逃れてきて辺鄙な土地に住まなくてはならなかったため、強盗・自然災害・野生動物とさまざまなものから身を守る必要にあわせ、壁の厚さが2mもあるものなど、とても頑丈にできています。
土楼が有名になったのは実はアメリカの航空写真だったか衛星写真だったかがきっかけなのだとか。上から見る円形が立ち並ぶ姿に、「これは中国のミサイル基地かっ!」と警戒し、調べたところ土楼だったという訳で。。。
そうそう見られない形状であるため、久しぶりに「世界遺産見た~~」という気分になれる建物でした。
厦門はアヘン戦争後に結ばれた南京条約(1842年)で開港した5港の一つでした。1902年にはコロンス島が共同租界地となり、日米英独仏などの領事館が置かれました。それに伴い教会、商社、学校、病院などが建てられ、今もその多くが残っています。
外国人が多く住む島でしたが、華僑も家や別荘を建て、いろいろな影響を受けた独自の建築文化を発達させたことが世界遺産リスト登録につながったようです。

665円)。
現地の人と観光客では乗り場が別になってお
り、何百人も乗ることができる大きなフェ
リーでしたが、すぐいっぱいになりました。
乗船時間はものの20分ほどですが、乗るには
パスポートの提示や身体検査があるなど、
空港並みの厳重体制。
フェリー乗り場のコロンス島の紹介パネル↓



厦門には珍しい、あいにくの冬の雨で岸を離れる光景は幻想的というか退廃的というか。
島内は車禁止で、歩くか電動バスでの移動。
1~2時間もあれば島一周できるくらいの大きさなので、特に不便はないです。
至る所が近代建築なので、途中からあまり珍しくなくなってしまった。。。
これはちょうど小樽の街中を散策したときのような心境。
クリックすると画像が大きくなります↓












日本の旧領事館は意外と地味なレンガ造りの建物でした。ただ、ほかの建物に比べ、敷地がだいぶ広いようです。





つい漢字で親近感のある中国語のほうだけ撮影
してしまい、書いてあることが何となくしか
分かりません・・・。字ずらで判明するのは、
・福島九成という人が主任領事であった(←調
べたところ佐賀藩出身の人のようです)。
・半地下がある。
・二階の西側には和室があった。
・19世紀末の領事館は外廊を作るのが流行
していた。
ということくらいですか。。。。
あと、別情報によると、戦後は厦門大学の先生方の宿舎だったこともあったようです。


同じように領事館のお隣、南西に位置する日本警察署及宿舎についてもよく分かりません。。。






(今日のおまけ) ●世界遺産 福健土楼・二宜楼


同じく世界遺産に登録(2008年)されている福健土楼のうちの、二宜楼(にきろう)にも行ってきました。
土楼は客家(はっか)の一族が西晋末期(4世紀)に戦乱を逃れるため南下し造り出した建築様式で、一般によく知られている円楼のほか、方形楼、五鳳楼があります。
逃れてきて辺鄙な土地に住まなくてはならなかったため、強盗・自然災害・野生動物とさまざまなものから身を守る必要にあわせ、壁の厚さが2mもあるものなど、とても頑丈にできています。
土楼が有名になったのは実はアメリカの航空写真だったか衛星写真だったかがきっかけなのだとか。上から見る円形が立ち並ぶ姿に、「これは中国のミサイル基地かっ!」と警戒し、調べたところ土楼だったという訳で。。。
そうそう見られない形状であるため、久しぶりに「世界遺産見た~~」という気分になれる建物でした。
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2018.01.02
●千葉県船橋市 意富比(おおひ)神社

きた新聞の切り抜きに、意富比神
社の灯明台は正月三が日だけ公開(午前9時~午後4時)とあったの
で、今年の初詣は意富比神社へ。
2日に行きましたが、ものすごい
列が出来ていてビックリ。
参道が細いため人の流れが良くな
いようで、結局お参りするのに
20分以上並びました。
無事、参拝した後はいよいよ右脇にある灯明台見学へ。

現在はすっかり発展して海の存在を感じさせませんが、江戸時代、船橋沿岸の船はこちらの神社の常夜灯を頼りにしていたそう。
それが明治元年の戊辰戦争で旧幕府軍の拠点となったことで、常夜灯どころか、境内は全て消失。その後、地元漁師らの寄付金で明治13年に今の灯明台が再建されたのだとか。

入ってすぐ右にある階段はもはや階段ではなくハシゴ状態の急な傾斜。

いわゆる擬洋風建築で、しかも洋風っぽいのは塔屋のみに限られる。1、2階は畳敷きの和風。

部屋に貼られた昭和56年のポスター。この年にオープンしたそごうも今はない。

2階は台形。天井が低く圧迫感あり。

昭和以降の埋め立てで海は見えない。

3階の灯室は六角形。明治28年までの15年間、政府公認の私設灯台として活躍。

標高27mの丘の上にあり、浅間神社のあった場所に建てられたので「浅間山灯明台」と呼ばれていた。

光源は石油ランプ3基に錫製の反射板を組み合わせ、光の到達距離は約6海里(約11km)あり、その当時の最新式の設備であったという。
(今日のおまけ) ●今井写真館

京成電鉄・大神宮下駅を出た通りにある写真館。
なかなか立派な風情ですが、店にあった説明板によると昭和62年の改装で今の店舗になったということは全然近代建築でない?
お店自体は大正6年(1917年)創業。今年で101年の歴史ある写真館で神社の結婚式の撮影も担当されているようです。


2017.08.25
Kaikado Cafe(開化堂カフェ 京都市下京区七条)

昨年の5月下旬に新しくできたカフェ。前回はGW中しか京都におらず入り損ねてしまい、年末来た時も機会がなく、やっとこの夏訪れたら、なんと臨時休業!!
翌日ようやく3度目の正直で来店できました。


窓の部分がとても大きな間取り。建設当時はもちろん、こんなに大きな窓は作れないはずで、リノベーションの際に壁をぶち抜いたのかとも思いましたが、後で店員さんに聞いて、この建物は市電の車庫兼事務所だったと知りました。それでこれだけの間口&天井の高さだったのか!と、とっても納得。そして、普通こういった建物をリノベーションすると床はそのままであることが多いのに、新しくなっているのは昔ここにレールがしいてあったからだったのか・・・とそこも納得。


中はナチュラルウッドの家具でまとめられたシンプルな内装。北欧っぽいな・・・と思っていたらデンマークのデザイン事務所が設計したそう。
開店からまだ1年ちょっとということもあり、清潔感があふれています。2階に続く階段あたりは昔のままですが、喫茶スペースは天井以外改装してあり、床も新しいです。窓際の一人客がパソコンを使っていて気付いたのですが床にコンセントがあり、お客が使えるようになっています。本当に中は今風な便利さ。



軽食はそれほど力は入れていないようで、トースト類と日替わりのポトフ?とスープ類あたりです。意外にも、キッズメニューが設けれていて、オレンジジュース、ミルクなどが200円というのは良心的。
今回、アイス抹茶ラテ¥850とあんバタ(ートースト)\480を注文。抹茶ラテはしっかり濃い抹茶。砂糖は入れませんでしたが、テーブルに備え付けの砂糖入れもやはり開化堂製のものです。
あんバタは小ぶりのトーストに1センチほどの厚みもある餡がたっぷりのっています。食べるとバターの風味がほんのり感じられ、品の良い餡と相まって美味しいものでした。




支払いの時に階段辺りを見てよいか尋ねたところ、思いがけず2階を案内して頂きました。2階も喫茶室なのかと思ったら、ちょっとしたショールームになっていました。6畳ないくらいの小さめのお部屋で、おそらく当時は宿直室として使われていたのではないかということです。

る機会があれば是非
チェックしてほしい
のは、棚の下に隠れ
ているレールの断
片。
ここがかつて車庫で
あった確かな証拠
です。

ですが、これは茶さ
じに名前を入れる際
に使う台だそう。
土曜のみ職人さんが
いらして茶筒を買わ
れた方に彫ってくれ
ます。

ハンドルを再利用したもの。
電車に詳しくないと全然気が付かないほど、
ちょうど良いサイズにぴったりな形。
●Kaikado Cafe
住所:京都市下京区河原町六条東入
電話:075-353-5668
HP:http://www.kaikado-cafe.jp/
https://www.facebook.com/kaikadocafe352/
OPEN:10:30–19:00 (L.O.18:30)
CLOSE:木曜日、第一水曜日(夏季休業、年末年始休業有)

毎年8月25日に吉祥院天満宮で行われる、吉祥院六斎念仏に行ってきました。こちらの天満宮は菅原道真生誕の地として有名だそうです。
境内や参道には屋台がズラリと並び、大変な盛況。この日も猛暑で夜になってもまだ暑かった上、境内は人混みでさらに2、3℃高い感じでした。
念仏は鉦(かね)や笛・太鼓の曲や獅子舞などを奉納する国の無形重要文化財。あまり長くいられず、獅子舞や土蜘蛛を見られないのが残念でしたが、前半は子供たちが太鼓を叩いており、地元に根差した伝統芸能に少し触れることができました。
(その2より続き)
●京都大学 花山天文台

「花山天文臺」 ”うてな”の字が時代を感じさせます。

こちらアマチュア天文学では聖地だそう。一般対象の観測会は何十倍もの倍率でしかも当たっても自力でなんとかここへ来なければならない大変さ。これを思うと今回の特別公開は観光バスも出るしシャトルバスも出るし、見たければ誰でも来れるし、と天と地の差のようです。近代建築的にはかなり地味ですが、天文マニアにはものすごい特別公開なのかもしれません。

わずかながらに感じられる1階内部の近代建築的フォルム。

昭和4年建設当初の建物は本館と別館、記念館の3棟。
建物自体は京都帝国大学の営繕課が担当。19mくらいあるドームは造船会社
の方がこういう丸いものを造るのが
うまいということで川崎造船所(現在
の川崎重工)が施工。

ドームの窓は真横に開く。モーターで開くがコンセントコードは短い。なのでコンセントが360度あちこちに設置してあり、近いところに差し込んで使う。
直径45センチの望遠鏡で国内3番目の大きさ。
ここができた当初は30センチのレンズだった。望遠鏡も地球の回転に合わせて動かす。今はいいモーターがあるが、ここのは古いので重力時計という重りで動き天体を追尾(1時間分くらい)。下まで来たら、ロープで引っ張ってまた重りをあげる。
このような古い望遠鏡がいまだ現役で使われているのは大変珍しいそうです。

観測に明かりは大敵ということで、階段や窓にフタがある。


天文台からの眺め。下に見えるのは別館と歴史館。

歴史館は当時は子午儀を用いる観測所でした。一時期、取り壊しの話も出ていましたが、同大学建築学部の先生が昭和初期の木造屋根建築だとその貴重性を説いたことで保存・整備し歴史館となりました。
現在は前出の30センチのレンズや天文台長だっ
た宮本正太郎がアポロ11号の月面着陸に協力し
た記念に贈られた灰皿(アームストロング船長
が月面に着陸した足跡を縮小したもの)などが
展示されています。
なお、宮本氏はヘビースモーカーで灰皿はヤニ
だらけだったそうです。
ちなみにこの建物は1977年ごろの河島英五の
「信望」というアルバムのジャケットに使われ
ています。いまと違って緑っぽいボロボロの
建物に見えます。。。
別館ではこの日も太陽の観測中でした。
(今日のおまけ)
今回利用した定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」は2017年9月30日(土)まで毎日運行中。9月16日(土)は本野精吾邸がお休みで小島櫻谷旧邸(櫻谷文庫)に振り替え、9月26日(火)は祇園閣が拝観中止なので注意が必要です。
HPや電話で予約可能ですが、自分の場合、HPで予約を試してみたら、どうもうまくいかなかったのと、当日・直前でも空席があれば参加可とあったので、まあ、正直ちょっとマニアックなコースなので、土日でなければ満員はなかろうと踏んでそのままバス乗り場に隣接している案内所(チケット売り場)へ直行。
で、当日10分前にチケット買いました。思った通りで参加者は定員数の約半分24名。踏んだ通りでしたが、出発前の案内所が混むということを念頭に置いていなかったのはちょっと失敗。当日ふらりと参加するにしても、もう少し時間に余裕をもって買った方が安心です。
当日実際のの所要時間(平日):5時間半 料金:大人9000円
HP:https://resv.kyototeikikanko.gr.jp/Teikan/Web/Default.aspx
定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その1(本野精吾邸と辻徳)
定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その2(白河院と祇園閣)
●京都大学 花山天文台

「花山天文臺」 ”うてな”の字が時代を感じさせます。

こちらアマチュア天文学では聖地だそう。一般対象の観測会は何十倍もの倍率でしかも当たっても自力でなんとかここへ来なければならない大変さ。これを思うと今回の特別公開は観光バスも出るしシャトルバスも出るし、見たければ誰でも来れるし、と天と地の差のようです。近代建築的にはかなり地味ですが、天文マニアにはものすごい特別公開なのかもしれません。


わずかながらに感じられる1階内部の近代建築的フォルム。


建物自体は京都帝国大学の営繕課が担当。19mくらいあるドームは造船会社
の方がこういう丸いものを造るのが
うまいということで川崎造船所(現在
の川崎重工)が施工。

ドームの窓は真横に開く。モーターで開くがコンセントコードは短い。なのでコンセントが360度あちこちに設置してあり、近いところに差し込んで使う。
直径45センチの望遠鏡で国内3番目の大きさ。
ここができた当初は30センチのレンズだった。望遠鏡も地球の回転に合わせて動かす。今はいいモーターがあるが、ここのは古いので重力時計という重りで動き天体を追尾(1時間分くらい)。下まで来たら、ロープで引っ張ってまた重りをあげる。
このような古い望遠鏡がいまだ現役で使われているのは大変珍しいそうです。

観測に明かりは大敵ということで、階段や窓にフタがある。


天文台からの眺め。下に見えるのは別館と歴史館。

歴史館は当時は子午儀を用いる観測所でした。一時期、取り壊しの話も出ていましたが、同大学建築学部の先生が昭和初期の木造屋根建築だとその貴重性を説いたことで保存・整備し歴史館となりました。

た宮本正太郎がアポロ11号の月面着陸に協力し
た記念に贈られた灰皿(アームストロング船長
が月面に着陸した足跡を縮小したもの)などが
展示されています。
なお、宮本氏はヘビースモーカーで灰皿はヤニ
だらけだったそうです。
ちなみにこの建物は1977年ごろの河島英五の
「信望」というアルバムのジャケットに使われ
ています。いまと違って緑っぽいボロボロの
建物に見えます。。。

別館ではこの日も太陽の観測中でした。

今回利用した定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」は2017年9月30日(土)まで毎日運行中。9月16日(土)は本野精吾邸がお休みで小島櫻谷旧邸(櫻谷文庫)に振り替え、9月26日(火)は祇園閣が拝観中止なので注意が必要です。
HPや電話で予約可能ですが、自分の場合、HPで予約を試してみたら、どうもうまくいかなかったのと、当日・直前でも空席があれば参加可とあったので、まあ、正直ちょっとマニアックなコースなので、土日でなければ満員はなかろうと踏んでそのままバス乗り場に隣接している案内所(チケット売り場)へ直行。
で、当日10分前にチケット買いました。思った通りで参加者は定員数の約半分24名。踏んだ通りでしたが、出発前の案内所が混むということを念頭に置いていなかったのはちょっと失敗。当日ふらりと参加するにしても、もう少し時間に余裕をもって買った方が安心です。
当日実際のの所要時間(平日):5時間半 料金:大人9000円
HP:https://resv.kyototeikikanko.gr.jp/Teikan/Web/Default.aspx
定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その1(本野精吾邸と辻徳)
定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その2(白河院と祇園閣)
(その1より続き)
本野精吾邸を見学した後は早々にランチタイムとなりました。
●白河院

こちらでお食事を頂きましたが、お食事処という訳ではないく、宿泊所の宴会場のようです。私学共済事業の運営のようで、誰でも宿泊できるようですが、予約は電話のみというのが今時っぽくなくなんだか共済ちっく??
宿泊施設と宴会場は別棟で、宴会場は前出の武田五一による和館。武田五一と言えば京都には洋館が多く残っていますが、もともと多彩な方で数寄屋造りの建物もおてのもの。

庭は明治から昭和初期にかけて活躍した七代目小川治兵衛によるもの。
小川治兵衛は植治と呼ばれ、円山公園や平安神宮の神苑、西園寺公望、山縣有朋の別邸など名だたる庭園を手掛けたことで有名です。それらに比べるとこちらの庭は小さめのようですが、作庭の時期が大正8年と、ちょうど植治の絶頂期にあたり、加えて当時のままの姿ということで京都市指定名勝になっています。
庭の池は実は池でなく防火用水。明治時代、琵琶湖から疎水を敷く大工事の時に権力もお金もあった政治家や経済人がこのあたりに別荘を作るときには池を作るにも防火用水を自分のところにひかせて池泉回遊式の庭を作ったという訳。ちなみにここは心という字をもじった心字池。

東山は昔、松林だった延長でこの庭にも松が多く、建物の角に立派な松があり、とても見栄えがします。これもかなり効いているのでしょうか、TVの撮影でもよく使われ、渡哲也の松竹梅のCMなどもここで撮影されたそう。



京料理の昼食。最後のリンゴのゼリーがふるふるでとてもおいしかったです。
●大雲院 祇園閣

大雲院は織田信長・信忠の菩提寺(名前の大雲院は信忠の法名からとっている)でもともとは烏丸に所在していたものの、戦後、その一帯が繁華街となったため、昭和48年に現在の祇園町へ移転してきました。
その場所と言うのは財閥・大倉喜八郎の別邸・真葛荘があった場所であり、今も残る書院と今回特別公開の祇園閣は、喜八郎が昭和御大典により男爵に列せられた記念に建てられたもの。東京の大倉集古館も手掛けた伊東忠太に発注しました。
お寺で聞いた話では、祇園祭りで有名な京都だけれど、祭りがない時も訪れた人に鉾を見てほしいという思いで祇園祭りの鉾を模して喜八郎が造らせたとのこと。他方、バスガイドさんのお話では、京都に金閣、銀閣はあるが銅閣がないのでそれを造りたいと喜八郎は思っていたけど、なんだか屋根だけ銅をはったものになり、幻の銅閣とも言われているのだとか。
完成は昭和2年。喜八郎がなくなる前年で、本人は背負われて完成を見届けたようです。
普通、塔の上というと、鳳凰がいたりするものだけれ ど、こちらにいるのは金の鶴。実は伊東忠太の幼名鶴 吉、雅号・鶴彦、晩年は鶴王と名乗ったのだとか。
塔入口の両扉にも鶴がかたどられています。そしてその前の両脇には大成建設の前身・大倉土木のシンボルマークのライオンの石像が鎮座しています。ここは撮影禁止だったので敷地外からの画像しかありませんが、ライオンといってもいかにもなたてがみのライオンではなく、アルハンブラ宮殿のライオンの間にいるようなちょっとかわいらしいものでした。
内部はもっと忠太っぽい妖怪らしきものがたくさんいるのかな、と思ったら、1か所だけ魔物が球を抱えている照明があったくらい。塔の天井にはメダリオンのようなものがあって、東西南北に合わせて十二支が描かれていました。
壁を覆いつくす色鮮やかなシルクロードっぽい壁画は、大雲院の開創400年記念(昭和63年)に描かれた敦煌の壁画の模写だそうで、忠太とは関連なし。その年に塔が初めて公開され、2度目は3年前、そして今回3回目の特別公開。
知恩院の山門よりも見晴らしが良いそう(地上36m。鉄筋コンクリート3階建て)。塔からの眺めも撮影禁止なのは、今のカメラは性能が良すぎて近隣住民の住居までよく映ってしまうからなんだとか。
天気の良い日はあべ
のハルカスまで見え
るそうだけど、ハル
カスがどんな建物か
知らぬ。。。
伊東忠太の手による ものと知る前からな んとなく異質な建物 だなと思っていまし たが、喜八郎の死後、相続した喜七郎は気 味悪がって結局中に 入ったことはなかっ たそう。
以前読んだ『大倉喜 八郎 その豪快なる 生涯』からして対照 的な性格の親子だっ たようで、嫌がった のがなんか妙に納得 できる(笑)
(今日のおまけ)


観光バスのコースではこの後、高台寺に隣接する湖月茶屋で一服できます。冷やしあめ・グリーンティー・抹茶ソフトクリームからの三択。
その中から冷やしあめを選びました。ちょうど先月、Eテレの「グレーテルのかまど」の松井今朝子さんの回で紹介していたもので、ほとんど関東には無いもの。自分も飲んだことがなかったので、試しに飲んでみました。簡単に言うとジンジャーエールの炭酸抜き?みたいな感じ。かなりショウガの辛味が効いている一方で甘みもかなり強い飲み物でした。
参考文献:建築MAP京都、モダンシティーKYOTO
"width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0"
frameborder="0" align=left / hspace="15">
(リンク)
定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その1(本野精吾邸と辻徳)
定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その3(花山天文台)
本野精吾邸を見学した後は早々にランチタイムとなりました。
●白河院

こちらでお食事を頂きましたが、お食事処という訳ではないく、宿泊所の宴会場のようです。私学共済事業の運営のようで、誰でも宿泊できるようですが、予約は電話のみというのが今時っぽくなくなんだか共済ちっく??
宿泊施設と宴会場は別棟で、宴会場は前出の武田五一による和館。武田五一と言えば京都には洋館が多く残っていますが、もともと多彩な方で数寄屋造りの建物もおてのもの。

庭は明治から昭和初期にかけて活躍した七代目小川治兵衛によるもの。
小川治兵衛は植治と呼ばれ、円山公園や平安神宮の神苑、西園寺公望、山縣有朋の別邸など名だたる庭園を手掛けたことで有名です。それらに比べるとこちらの庭は小さめのようですが、作庭の時期が大正8年と、ちょうど植治の絶頂期にあたり、加えて当時のままの姿ということで京都市指定名勝になっています。
庭の池は実は池でなく防火用水。明治時代、琵琶湖から疎水を敷く大工事の時に権力もお金もあった政治家や経済人がこのあたりに別荘を作るときには池を作るにも防火用水を自分のところにひかせて池泉回遊式の庭を作ったという訳。ちなみにここは心という字をもじった心字池。

東山は昔、松林だった延長でこの庭にも松が多く、建物の角に立派な松があり、とても見栄えがします。これもかなり効いているのでしょうか、TVの撮影でもよく使われ、渡哲也の松竹梅のCMなどもここで撮影されたそう。



京料理の昼食。最後のリンゴのゼリーがふるふるでとてもおいしかったです。
●大雲院 祇園閣

大雲院は織田信長・信忠の菩提寺(名前の大雲院は信忠の法名からとっている)でもともとは烏丸に所在していたものの、戦後、その一帯が繁華街となったため、昭和48年に現在の祇園町へ移転してきました。
その場所と言うのは財閥・大倉喜八郎の別邸・真葛荘があった場所であり、今も残る書院と今回特別公開の祇園閣は、喜八郎が昭和御大典により男爵に列せられた記念に建てられたもの。東京の大倉集古館も手掛けた伊東忠太に発注しました。
お寺で聞いた話では、祇園祭りで有名な京都だけれど、祭りがない時も訪れた人に鉾を見てほしいという思いで祇園祭りの鉾を模して喜八郎が造らせたとのこと。他方、バスガイドさんのお話では、京都に金閣、銀閣はあるが銅閣がないのでそれを造りたいと喜八郎は思っていたけど、なんだか屋根だけ銅をはったものになり、幻の銅閣とも言われているのだとか。
完成は昭和2年。喜八郎がなくなる前年で、本人は背負われて完成を見届けたようです。

塔入口の両扉にも鶴がかたどられています。そしてその前の両脇には大成建設の前身・大倉土木のシンボルマークのライオンの石像が鎮座しています。ここは撮影禁止だったので敷地外からの画像しかありませんが、ライオンといってもいかにもなたてがみのライオンではなく、アルハンブラ宮殿のライオンの間にいるようなちょっとかわいらしいものでした。
内部はもっと忠太っぽい妖怪らしきものがたくさんいるのかな、と思ったら、1か所だけ魔物が球を抱えている照明があったくらい。塔の天井にはメダリオンのようなものがあって、東西南北に合わせて十二支が描かれていました。
壁を覆いつくす色鮮やかなシルクロードっぽい壁画は、大雲院の開創400年記念(昭和63年)に描かれた敦煌の壁画の模写だそうで、忠太とは関連なし。その年に塔が初めて公開され、2度目は3年前、そして今回3回目の特別公開。

天気の良い日はあべ
のハルカスまで見え
るそうだけど、ハル
カスがどんな建物か
知らぬ。。。

以前読んだ『大倉喜 八郎 その豪快なる 生涯』からして対照 的な性格の親子だっ たようで、嫌がった のがなんか妙に納得 できる(笑)
(今日のおまけ)


観光バスのコースではこの後、高台寺に隣接する湖月茶屋で一服できます。冷やしあめ・グリーンティー・抹茶ソフトクリームからの三択。
その中から冷やしあめを選びました。ちょうど先月、Eテレの「グレーテルのかまど」の松井今朝子さんの回で紹介していたもので、ほとんど関東には無いもの。自分も飲んだことがなかったので、試しに飲んでみました。簡単に言うとジンジャーエールの炭酸抜き?みたいな感じ。かなりショウガの辛味が効いている一方で甘みもかなり強い飲み物でした。
参考文献:建築MAP京都、モダンシティーKYOTO
"width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0"
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(リンク)
定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その1(本野精吾邸と辻徳)
定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その3(花山天文台)