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開化堂カフェ 外観1
昨年の5月下旬に新しくできたカフェ。前回はGW中しか京都におらず入り損ねてしまい、年末来た時も機会がなく、やっとこの夏訪れたら、なんと臨時休業!! 
翌日ようやく3度目の正直で来店できました。

開化堂カフェ 外観2
外観はアールデコ調。旧内濱架線詰所として1927年(昭和2年)、市電架線が断線した際に復旧措置をする保線施設として開設されました。南側に保線車両の車庫、1階は作業空間、2階は事務所として使われていたようです。その後、京都の市電が昭和53年に全線が廃止された後は、倉庫などとして使われていたそう。

開化堂カフェ 外観3
窓の部分がとても大きな間取り。建設当時はもちろん、こんなに大きな窓は作れないはずで、リノベーションの際に壁をぶち抜いたのかとも思いましたが、後で店員さんに聞いて、この建物は市電の車庫兼事務所だったと知りました。それでこれだけの間口&天井の高さだったのか!と、とっても納得。そして、普通こういった建物をリノベーションすると床はそのままであることが多いのに、新しくなっているのは昔ここにレールがしいてあったからだったのか・・・とそこも納得。

開化堂カフェ 1階1開化堂カフェ 1階2
中はナチュラルウッドの家具でまとめられたシンプルな内装。北欧っぽいな・・・と思っていたらデンマークのデザイン事務所が設計したそう。
開店からまだ1年ちょっとということもあり、清潔感があふれています。2階に続く階段あたりは昔のままですが、喫茶スペースは天井以外改装してあり、床も新しいです。窓際の一人客がパソコンを使っていて気付いたのですが床にコンセントがあり、お客が使えるようになっています。本当に中は今風な便利さ。

開化堂カフェ 1階3開化堂カフェ あんバタ

開化堂カフェ 1階4喫茶メニューとしてはコーヒー・紅茶そして茶筒のお店・開化堂が出したカフェらしく、日本茶もあります。
軽食はそれほど力は入れていないようで、トースト類と日替わりのポトフ?とスープ類あたりです。意外にも、キッズメニューが設けれていて、オレンジジュース、ミルクなどが200円というのは良心的。
今回、アイス抹茶ラテ¥850とあんバタ(ートースト)\480を注文。抹茶ラテはしっかり濃い抹茶。砂糖は入れませんでしたが、テーブルに備え付けの砂糖入れもやはり開化堂製のものです。
あんバタは小ぶりのトーストに1センチほどの厚みもある餡がたっぷりのっています。食べるとバターの風味がほんのり感じられ、品の良い餡と相まって美味しいものでした。

開化堂カフェ 1階脇
七条あたりの河原町通りは京都と言っても、観光客はほとんどいないところで、ここにお客さんって来るのかな?と思っていましたが、1時間ほどいる間には混みはしないものの、絶えずお客の出入りがありました。そして韓国人のお客さまも。今回の旅行でしみじみ思いましたが、ここ10年の間に京都には本当に外国人観光客が増えました。ちょっと有名な飲食店なら半分は外国人という感じ。

開化堂カフェ テラス
店内はテーブルにもゆとりがあり、20名も入れば満員かなという感じですが、奥には中庭もあってパラソル付きのテーブルもありました。外にも他に扉があって、アンティークな照明もあります(これはオリジナルじゃないかも?)。

開化堂カフェ 階段

開化堂カフェ 2階1
支払いの時に階段辺りを見てよいか尋ねたところ、思いがけず2階を案内して頂きました。2階も喫茶室なのかと思ったら、ちょっとしたショールームになっていました。6畳ないくらいの小さめのお部屋で、おそらく当時は宿直室として使われていたのではないかということです。

開化堂カフェ 2階2 もし2階をご覧にな
 る機会があれば是非
 チェックしてほしい
 のは、棚の下に隠れ
 ているレールの断
 片。
 ここがかつて車庫で
 あった確かな証拠
 です。








開化堂カフェ 2階3見たこともない道具
ですが、これは茶さ
じに名前を入れる際
に使う台だそう。
土曜のみ職人さんが
いらして茶筒を買わ
れた方に彫ってくれ
ます。









開化堂カフェ ドアノブ お店の出入り口の扉の内側の取っ手は電車の
 ハンドルを再利用したもの。
 電車に詳しくないと全然気が付かないほど、
 ちょうど良いサイズにぴったりな形。

 ●Kaikado Cafe
 住所:京都市下京区河原町六条東入
 電話:075-353-5668
 HP:http://www.kaikado-cafe.jp/  
 https://www.facebook.com/kaikadocafe352/
OPEN:10:30–19:00 (L.O.18:30)
CLOSE:木曜日、第一水曜日(夏季休業、年末年始休業有)


吉祥院六斎念仏(今日のおまけ)
毎年8月25日に吉祥院天満宮で行われる、吉祥院六斎念仏に行ってきました。こちらの天満宮は菅原道真生誕の地として有名だそうです。
境内や参道には屋台がズラリと並び、大変な盛況。この日も猛暑で夜になってもまだ暑かった上、境内は人混みでさらに2、3℃高い感じでした。
念仏は鉦(かね)や笛・太鼓の曲や獅子舞などを奉納する国の無形重要文化財。あまり長くいられず、獅子舞や土蜘蛛を見られないのが残念でしたが、前半は子供たちが太鼓を叩いており、地元に根差した伝統芸能に少し触れることができました。
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(その2より続き)

●京都大学 花山天文台
花山天文台 「花山天文臺」
「花山天文臺」 ”うてな”の字が時代を感じさせます。

花山天文台 外観
こちらアマチュア天文学では聖地だそう。一般対象の観測会は何十倍もの倍率でしかも当たっても自力でなんとかここへ来なければならない大変さ。これを思うと今回の特別公開は観光バスも出るしシャトルバスも出るし、見たければ誰でも来れるし、と天と地の差のようです。近代建築的にはかなり地味ですが、天文マニアにはものすごい特別公開なのかもしれません。

花山天文台 階段

花山天文台 1階 
わずかながらに感じられる1階内部の近代建築的フォルム。


花山天文台 階段

花山天文台 川崎造船所昭和4年建設当初の建物は本館と別館、記念館の3棟。

建物自体は京都帝国大学の営繕課が担当。19mくらいあるドームは造船会社
の方がこういう丸いものを造るのが
うまいということで川崎造船所(現在
の川崎重工)が施工。





花山天文台 ドーム
ドームの窓は真横に開く。モーターで開くがコンセントコードは短い。なのでコンセントが360度あちこちに設置してあり、近いところに差し込んで使う。
直径45センチの望遠鏡で国内3番目の大きさ。
ここができた当初は30センチのレンズだった。望遠鏡も地球の回転に合わせて動かす。今はいいモーターがあるが、ここのは古いので重力時計という重りで動き天体を追尾(1時間分くらい)。下まで来たら、ロープで引っ張ってまた重りをあげる。
このような古い望遠鏡がいまだ現役で使われているのは大変珍しいそうです。

花山天文台 2階
観測に明かりは大敵ということで、階段や窓にフタがある。

花山天文台 展望台より

花山天文台 別館と歴史館
天文台からの眺め。下に見えるのは別館と歴史館。

花山天文台 歴史館
歴史館は当時は子午儀を用いる観測所でした。一時期、取り壊しの話も出ていましたが、同大学建築学部の先生が昭和初期の木造屋根建築だとその貴重性を説いたことで保存・整備し歴史館となりました。

花山天文台 歴史館 灰皿現在は前出の30センチのレンズや天文台長だっ
た宮本正太郎がアポロ11号の月面着陸に協力し
た記念に贈られた灰皿(アームストロング船長
が月面に着陸した足跡を縮小したもの)などが
展示されています。
なお、宮本氏はヘビースモーカーで灰皿はヤニ
だらけだったそうです。
ちなみにこの建物は1977年ごろの河島英五の
「信望」
というアルバムのジャケットに使われ
ています。いまと違って緑っぽいボロボロの
建物に見えます。。。

花山天文台 別館 
別館ではこの日も太陽の観測中でした。


京の夏の旅(今日のおまけ)
今回利用した定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」は2017年9月30日(土)まで毎日運行中。9月16日(土)は本野精吾邸がお休みで小島櫻谷旧邸(櫻谷文庫)に振り替え、9月26日(火)は祇園閣が拝観中止なので注意が必要です。
HPや電話で予約可能ですが、自分の場合、HPで予約を試してみたら、どうもうまくいかなかったのと、当日・直前でも空席があれば参加可とあったので、まあ、正直ちょっとマニアックなコースなので、土日でなければ満員はなかろうと踏んでそのままバス乗り場に隣接している案内所(チケット売り場)へ直行。
で、当日10分前にチケット買いました。思った通りで参加者は定員数の約半分24名。踏んだ通りでしたが、出発前の案内所が混むということを念頭に置いていなかったのはちょっと失敗。当日ふらりと参加するにしても、もう少し時間に余裕をもって買った方が安心です。

当日実際のの所要時間(平日):5時間半 料金:大人9000円
HP:https://resv.kyototeikikanko.gr.jp/Teikan/Web/Default.aspx

定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その1(本野精吾邸と辻徳)
定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その2(白河院と祇園閣)
(その1より続き)
本野精吾邸を見学した後は早々にランチタイムとなりました。

●白河院
白河院 外観1
こちらでお食事を頂きましたが、お食事処という訳ではないく、宿泊所の宴会場のようです。私学共済事業の運営のようで、誰でも宿泊できるようですが、予約は電話のみというのが今時っぽくなくなんだか共済ちっく??
宿泊施設と宴会場は別棟で、宴会場は前出の武田五一による和館。武田五一と言えば京都には洋館が多く残っていますが、もともと多彩な方で数寄屋造りの建物もおてのもの。

白河院 外観2
庭は明治から昭和初期にかけて活躍した七代目小川治兵衛によるもの。
小川治兵衛は植治と呼ばれ、円山公園や平安神宮の神苑、西園寺公望、山縣有朋の別邸など名だたる庭園を手掛けたことで有名です。それらに比べるとこちらの庭は小さめのようですが、作庭の時期が大正8年と、ちょうど植治の絶頂期にあたり、加えて当時のままの姿ということで京都市指定名勝になっています。
 
庭の池は実は池でなく防火用水。明治時代、琵琶湖から疎水を敷く大工事の時に権力もお金もあった政治家や経済人がこのあたりに別荘を作るときには池を作るにも防火用水を自分のところにひかせて池泉回遊式の庭を作ったという訳。ちなみにここは心という字をもじった心字池。

白河院 廊下より
東山は昔、松林だった延長でこの庭にも松が多く、建物の角に立派な松があり、とても見栄えがします。これもかなり効いているのでしょうか、TVの撮影でもよく使われ、渡哲也の松竹梅のCMなどもここで撮影されたそう。

白河院 違い棚

白河院 料理白河院 りんごゼリー
京料理の昼食。最後のリンゴのゼリーがふるふるでとてもおいしかったです。

●大雲院 祇園閣
祇園閣 外観

大雲院は織田信長・信忠の菩提寺(名前の大雲院は信忠の法名からとっている)でもともとは烏丸に所在していたものの、戦後、その一帯が繁華街となったため、昭和48年に現在の祇園町へ移転してきました。
その場所と言うのは財閥・大倉喜八郎の別邸・真葛荘があった場所であり、今も残る書院と今回特別公開の祇園閣は、喜八郎が昭和御大典により男爵に列せられた記念に建てられたもの。東京の大倉集古館も手掛けた伊東忠太に発注しました。
お寺で聞いた話では、祇園祭りで有名な京都だけれど、祭りがない時も訪れた人に鉾を見てほしいという思いで祇園祭りの鉾を模して喜八郎が造らせたとのこと。他方、バスガイドさんのお話では、京都に金閣、銀閣はあるが銅閣がないのでそれを造りたいと喜八郎は思っていたけど、なんだか屋根だけ銅をはったものになり、幻の銅閣とも言われているのだとか。

完成は昭和2年。喜八郎がなくなる前年で、本人は背負われて完成を見届けたようです。

祇園閣 鶴 普通、塔の上というと、鳳凰がいたりするものだけれ ど、こちらにいるのは金の鶴。実は伊東忠太の幼名鶴 吉、雅号・鶴彦、晩年は鶴王と名乗ったのだとか。
塔入口の両扉にも鶴がかたどられています。そしてその前の両脇には大成建設の前身・大倉土木のシンボルマークのライオンの石像が鎮座しています。ここは撮影禁止だったので敷地外からの画像しかありませんが、ライオンといってもいかにもなたてがみのライオンではなく、アルハンブラ宮殿のライオンの間にいるようなちょっとかわいらしいものでした。

内部はもっと忠太っぽい妖怪らしきものがたくさんいるのかな、と思ったら、1か所だけ魔物が球を抱えている照明があったくらい。塔の天井にはメダリオンのようなものがあって、東西南北に合わせて十二支が描かれていました。
壁を覆いつくす色鮮やかなシルクロードっぽい壁画は、大雲院の開創400年記念(昭和63年)に描かれた敦煌の壁画の模写だそうで、忠太とは関連なし。その年に塔が初めて公開され、2度目は3年前、そして今回3回目の特別公開。

祇園閣 屋根知恩院の山門よりも見晴らしが良いそう(地上36m。鉄筋コンクリート3階建て)。塔からの眺めも撮影禁止なのは、今のカメラは性能が良すぎて近隣住民の住居までよく映ってしまうからなんだとか。
 天気の良い日はあべ
 のハルカスまで見え
 るそうだけど、ハル
 カスがどんな建物か 
 知らぬ。。。


祇園閣 展望台伊東忠太の手による ものと知る前からな んとなく異質な建物 だなと思っていまし たが、喜八郎の死後、相続した喜七郎は気 味悪がって結局中に 入ったことはなかっ たそう。
以前読んだ『大倉喜 八郎 その豪快なる 生涯』からして対照 的な性格の親子だっ たようで、嫌がった のがなんか妙に納得  できる(笑)


(今日のおまけ)
湖月茶屋湖月茶屋 冷やしあめ
観光バスのコースではこの後、高台寺に隣接する湖月茶屋で一服できます。冷やしあめ・グリーンティー・抹茶ソフトクリームからの三択。
その中から冷やしあめを選びました。ちょうど先月、Eテレの「グレーテルのかまど」の松井今朝子さんの回で紹介していたもので、ほとんど関東には無いもの。自分も飲んだことがなかったので、試しに飲んでみました。簡単に言うとジンジャーエールの炭酸抜き?みたいな感じ。かなりショウガの辛味が効いている一方で甘みもかなり強い飲み物でした。

参考文献:建築MAP京都モダンシティーKYOTO
 

 (リンク)
 定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その1(本野精吾邸と辻徳)

 定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その3(花山天文台)
毎年京都では、普段非公開の文化財を一定期間公開していますが、今年の夏はなんと!公開テーマの一つが「近代の名建築」です。これまでも京都に行く度になんとなく特別公開のことは気にかけていましたが、近代建築にスポットライトが当たるのは、初めて? 今までにもあったのかな??

ともかく、今回公開された中で関連があるものは
・本野精吾邸
・大雲院 祇園閣
・京都大学 花山天文台
の3つ。祇園閣などは外観は幾度となく見ており、自力で見に行こうかな・・・とも考えましたが、この暑さのなか、あちこち行くのはちょっとシンドイし、花山天文台は東山駅から無料シャトルバスが出るもののちょっとハードル高いなあ・・・ということで、今回初めてこれらを効率よくまわる定期観光バスを利用することにしました。

10時に京都駅を出発し、最初に向かうは本野精吾邸。

●本野精吾邸 ~日本最初のモダニズム建築~
本野精吾邸 外観1
日本のモダニズム建築の先駆けとされる本野精吾邸(大正13年築)は今回初公開。
本野精吾というと、関東ではあまりなじみがありませんが、横浜の日本郵船博物館では船室デザインを見ることができます。それはたぶん、三菱合資会社の技師だった関係でと思いますが、詳しいことは分かりません。その後、京都建築界のボス・武田五一に請われ京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)の図案科教授になりました。

本野精吾邸 外観2

本野精吾邸 外観3本野精吾邸 外観4
こちらの建物の特徴は中村鎮式というL字型のコンクリートブロックを組み合わせ、中の空洞部分にコンクリートを流し込むやりかたで造られていること。L字にすることで強度が増すそうです。なんでも、関東大震災のときにこの方法で建てられたものはほとんど壊れなかったのだとか。

・平成15年にはDOCOMOMO(モダニズム建築に関する国際組織)日本支部から優れたモダニズム建築に選定されました。                    

本野精吾邸 1階
本野精吾邸はその後、三男の東一(とういち)氏が住んだようです。この方は海外での方が有名だった染色家だそうで、壁にかかっているものは彼の作品。リビングでロウケツ染めを行っており、天井には蝋が飛び散った跡が残っていました。

本野精吾邸 1階 暖炉
全体的に質素な感じの中で葡萄をデザインした暖炉が目を引きます。

本野精吾邸 階段明り取り 
L字の階段の上には明り取りの天窓。

本野精吾邸 2階 
今でも2階からは大文字の山が見えます。建てられた当時の本邸は今あるお隣の立命学院は立っておらず、周りは田んぼ。何もないところに初めてのモダニズム建築がポッツリ建ち、かなり目立ったことでしょう。立命館のお隣という場所柄、近くにはリーズナブルな定食屋さんがいろいろありました。

本野精吾邸 1階 写真本野精吾邸 1階 見取り図
明治42年から3年ほどドイツに留学。帰国後の大正3年に手掛けたのが西陣織物館(現・京都市考古資料館)。
精吾の父・盛亨(もりみち)は読売新聞創業者。兄・一郎は外務大臣。

本野精吾邸 2階 鶴巻鶴一邸写真
二階には本野の京都にある代表的な建築のパネルが飾られています。
山科区に残っている京都高等工芸学校の高長だった鶴巻鶴一邸(現・栗原邸)は昭和4年に手掛けたもの。
本野邸と同じくL字型のコンクリートブロックで造られています。今は誰も住んでおらず3年前と今年、公開されたそうですが、疎水沿いにあってちょっとお化け屋敷っぽく見えるそう。中は立派なものの、売りに出しても売れないのだとか。。。

 参考文献:建築MAP京都

(今日のおまけ)  
辻徳 外観

辻徳 入口本野精吾邸へ向かう途中、ちょうど赤信号で止まった四条堀川のバス停前に近代建築がありパシャリ。
後で調べたところによるとこれは日本で唯一の懐紙専門店の「辻徳」というお店でした。

●辻徳
住所:京都市下京区堀川通四条下ル四条堀川町271
営業時間:11:00~18:00
定休日:日曜日

(リンク)
定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その2(白河院と祇園閣)
定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その3(花山天文台)
今年は三越劇場・誕生90周年ということで、本館1階中央ホールでは4月26日~5月2日の間、資料展示やトークショーなどが開催されています。そのイベントの一つ、劇場見学ツアーに参加してきました。

三越劇場 全体初代の緞帳のデザインは杉浦非水が手掛けた。年間何千回も上げ下げをする緞帳は消耗激しく、現在のものは十数年前にとりつけられた「麗」という題のもの。

三越劇場

三越劇場 舞台から

大正3年に建てられた日本橋三越本店は、当時最新設備のエスカレーター(日本初)やエレベーター、スプリンクラーを備えた東洋一の百貨店と称されました。それが10年もたたないうちに関東大震災で燃えてしまいますが、躯体は残り、耐震補強され甦ったのが昭和2年。
延べ20万人余りを費やす大工事の末、今度は日本初の自動扉エレベーターなども備えた三越ですが、その際に当時の経営者の「建築だけでなく、文化的な復興も必要」との想いからつくられたのが、世界初、百貨店の中にある劇場・三越ホール(現在の三越劇場)でした。

上記だけでもいろいろと「初」の多い三越ですが、ファッションショーを日本で初めてしたのが、ここ三越ホールでした。とは言っても現在のようなウォーキングをする洋風のショーではなく、初回(昭和2年9月)は女優の初代・水谷八重子などが日本舞踊を舞うものだったそうです。

三越劇場 謎の顔
プロセニアムアーチ(額縁)の舞台・上中央には三越のロゴの両脇に口を開ける謎の顔が!!

三越劇場 獅子
麒麟に間違えられることもある獅子が舞台両脇に鎮座。

三越劇場 二階
当日は撮影可。奥に見える劇場扉には覗き窓がある。
日本橋三越は初代の帝劇や現存する日本工業倶楽部などを手掛けた横河工務所(現、横河建築設計事務所)が担当。劇場の設計資料がほとんど残っておらず、様式は不明ですが、百貨店の中にあるホールとして印象的なものとするため、ロココ調の雰囲気であるとのこと。
具体的な記録は残っていないものの、携わった子孫が遺した記録によると、あんまり派手でも下品になってしまうので、基調色をグレーとしたそう。大理石も灰色です。

三越劇場 舞台柱三越劇場 イルカ
三越劇場 顔
周壁には石膏彫刻。柔らかい素材で欠けやすいため、注意深く見るとちょこちょこ欠けた部分もみうけられる。
出所不明のモチーフが多いものの、震災で燃えたせいかイルカや貝など水を連想させるものも。

戦時中、三越店内の大方は統制機関に貸し出され、三越ホールは映画配給会社の試写室となりましたが、東京大空襲を免れたのは幸いでした。終戦翌年の昭和21年に「三越劇場」に改名し、早々に再出発を果たします。歌舞伎座も明治座も消失してしまった戦後において、再び「文化的な復興」を担う存在として、劇場を失った歌舞伎界のため、30本もの歌舞伎公演を上演しました。今でも続く「三越歌舞伎」です。

三越劇場 照明
電球の交換は大変だそうです。照明器具が見た目よりずっと重たく、交換は2~3名がかりだそう。

三越劇場 エアコン三越劇場 吸気口
開場当時から、画像左、上部の丸と半円の装飾口から冷暖房で空気を送り、画像右の床にある通気口から吸気。昔は下駄や雪駄でホコリが舞い上がっていた模様。両方とも今も現役。 

三越劇場 ステンドグラス
少し前まで一度壊れてしまえば修復不可能と言われていたけれど、可能、らしい。
天井のステンドグラスは今は防災上の関係でアクリル板を張ってあります。三越劇場のロゴはこのステンドグラス。2階客席からがよく見ることができ、その凹凸が感じられます。
作ったのは、別府七郎。ドイツで技術を学び日本初のステンドグラス工房を開いた宇野澤辰雄の最初の弟子で他に江の島・岩本楼ローマ風呂、川越・旧山崎家別邸、靖国神社・遊就館など手掛けました。
こちらの電球の交換もすごく大変で、交換する空間が狭くほふく前進でやっと通れるくらい。しかも一方通行なので、すぐ隣の電球も換えられないんだとか。

三越劇場 ステント1三越劇場 ステント2
天井の模様は78種類の色調を組み合わせたステンシルで、2階客席へ行くとステンドグラス同様、間近に見ることができます。音響をよくするため、薄い合板だそう。
近くで見ると・・・図柄がはみ出ているとかでもないのにどこか精巧さがない、奇妙な印象を受けました。
それで改めてステンシルについて調べたところ、ブリタニカ国際大百科事典によると、「型染のこと。型紙の模様を切抜いた部分に染料や絵具を摺り込む染色や版画の技法。きわめて初歩的な技法であるが,デザイン,版画およびフランスなどの美術印刷ではいまでも一部でこの方法が用いられている」とのこと。なるほど。それで何となくありもしないズレを感じたのかも。

三越劇場 スプリンクラー1三越劇場 スプリンクラー3三越劇場 スプリンクラー2
よく見ると、いろんな形のスプリンクラー
冒頭で大正3年当時最新設備のスプリンクラーと記述しましたが、実際は外国仕様のせいか、うまく機能せず、途中で破裂してしまったそうです。このため、復興の際はきちんと機能するよう徹底的に調べてから設置したそう。今でもちゃんと作動するそうですが、実際作動してしまったら、文化財としての価値は損なわれてしまうので、とにかくそのような事態にならないよう細心の注意を払っているそうです。

それで思い出したのが、八幡製鉄所のお話。増田彰久さんの『西洋館を楽しむ』という本の中で、八幡製鉄所はドイツ人が本国と同じスペックで作ったものの、まともな鉄が作れず大変だったという話が載っていました。日本の石炭はドイツのものより質が悪いし火力も弱かったせいのようですが、原因を突き止めるのに2年もかかり、それ以後、単に外国のものを単に輸入するだけではダメだと痛感し調査と研究を怠らなかったそうです。

三越劇場 躯体
皇室の方が来られると、ロイヤルシートがないので、2階最前列の12番前後にご案内するそう。そして実際、ここが一番見やすいです。
ステージ奥には普段白い布で覆われている躯体が見えます。一時期、柱を切る話が出たものの、下まで繋がっているため、ここを切ってしまうと建物全体に影響が及ぶということで見送られました。

 (参考文献)
 東京遺産な建物たち 
 月刊日本橋2017年3月号

 (今日のおまけ)
 本館1階中央ホールで展示中の「三越劇場のあゆ
 み~90年そして未来へ~」によると、北村薫『街
 の灯』に三越劇場が登場しているそうです。
 昭和初期を舞台にしたミステリー。北村薫という
 と、円紫さんシリーズが面白かったので、こちら
 も機会を見つけて読みたいと思います。
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