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2018.09.01 ●静嘉堂文庫
静嘉堂 門
もうほぼ終わりかけですが・・・静嘉堂文庫美術館で「明治からの贈り物」を観てきました。
こじんまりとした美術館でその分、入館料も安いです。集中力が切れないうちに見終わる広さで個人的にはベストサイズ。明治の超絶技巧が好きなので、「美の巨人たち」でおなじみの柴田是眞、涛川惣助、海野勝珉のなど作品が見られたのも良かったです。

近代建築と関わりが深い作品というと、のちに開東閣(岩崎彌之助邸)のビリヤード室を飾った黒田清輝の「裸体婦人像」とコンドルの絵の先生であった河鍋暁斎の「地獄極楽めぐり図」、湯島にある旧岩崎邸の和館・大広間にある「富士に波」も描いた橋本雅邦の「竜虎図屏風」、コンドルが手掛けた弥之助墓所前にある大きな香炉を手掛けた岡崎雪聲の「唐銅龍鳳文環耳瓶」などがあります・・・と列挙していき気づきましたが、これらはちょうどすべてチラシに掲載されていますわ。

チラシ表チラシ裏
※画像をクリックすると大きくなります。

「裸体婦人像」の横には大きく当時のビリヤード室の写真が展示されていました。開東閣は一般公開されていませんが、されていたとしても、火事で内装はすべて焼けてしまったことを考えると、昔をしのぶ貴重な一枚です。

静嘉堂文庫1

たいと美術館のお隣には大正13年に建てられた静嘉堂文庫があります。こちらは普段中には入れませんが、何年か前、文化財ウィークで中に入れてもらったことがあり、いろいろ説明を受けましたはずですが、覚えているのは今でも研究者に門戸を開けていることと、日本で一番画数の多い漢字はなんでしょうというクイズが出たことくらい・・・。
答えは「たいと」。総画数84画。日本人の苗字とされていますが、意味はないみたいです。

静嘉堂文庫2
裏手。大正13年らしく当時はやりのスクラッチタイル。設計は三菱の丸ビルも手掛けた桜井小太郎。和漢の古典籍が納められている。特徴としては個人が収集した蔵書を、散逸を防ぐため一括購入していたこと。

静嘉堂文庫3
1988年発行の藤森先生の「建築探偵東奔西走」の写真では2階窓、タイル3段下くらいまでだった植木が今は窓の真ん中あたりまできてます。ちょうど30年でそれだけ育ったということですね。正直言うと、建物より何より、どうやってあの高さの植木をこんもりキレイに切り揃えているんだろうと、そちらのほうがよっぽど気になって仕方ありませんでした。。。。

岩崎家霊廟 全体
庭の奥へ進むと岩崎家の霊廟。明治43年、岩崎小彌太が父・彌之助の三回忌法要にあたって建立した(設計:ジョサイア・コンドル)。

岩崎家霊廟 二十四考岩崎家霊廟 二十四考
中国故事「二十四考」が扉に描かれている。孝行が特に優れた人物24人。

岩崎家霊廟 香炉
青銅製大香炉。中国の殷周時代の鼎にならったもの。内側には寄進者名が鋳出されている。あまりの大きさに当時新聞でも話題になった。

(今日のおまけ)
岩崎家霊廟 香炉
香炉のそのフォルム、「おしりたんてい」に激似・・・

(参考文献)
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(その1)より続き

●高輪消防署二本榎出張所(港区高輪2-6-16 昭和8年)
高輪消防署二本榎出張所
今回はさらっと通っただけなのですが、数年前、グループでこの周辺を見学して回っていた時、外観だけ見て終わるつもりが、どうやら頼めばガイドしてくれるみたい、と、成り行きで見学させてもらったことがあります。
2階には昔の火消し道具などが展示されていて半纏や半鐘がありました。そういえばキャンプカーみたいになっている消防車の中も見せてもらいましたっけ。
なお、現代では火の見櫓は必要なくなってしまったため、このように残ってるのは、大変珍しく、保存されたのは貴重であるようです。

●日本基督教団高輪教会(港区高輪3-15-15 昭和7年) 
高輪教会
あ、なんかライトっぽいデザインの建物!と思ったら彼のもとで学んだ岡見健彦の設計。
『東京建築ガイドマップ』によると、この建物がライトの影響をかなり受けているのは、昭和3年~5年までタリアセンで学び、日本に戻ってきて間もない頃の作品だからではないかとのこと。ライトっぽい教会としては日本で最初のものだそうです。

●旧竹田宮邸「高輪貴賓館」(港区高輪3-13-1 明治44年)
竹田宮邸 01
この辺りは江戸時代は土佐藩の武家屋敷あったそうです。そのあと後藤象二郎邸を経て、明治31年に皇室の御用地となりました。
明治40年に御用邸を建てはじめましたが、その建設中にこの地はそれぞれ明治天皇の内親王と結婚した竹田宮恒久王・北白川宮成久王・朝香宮鳩彦王の三宮家に分け与えられました。
現在その跡地にできたのがプリンスホテルですが、同じ一つの敷地にありながら名称はあえて「グランドプリンスホテル高輪、グランドプリンスホテル新高輪」とわけているのは高輪が竹田宮、新高輪が北白川宮の跡地だからだそうです。

竹田宮邸 02
建設中だった建物は明治44年完成し竹田宮家に下賜されました。かつては現在残る洋館のすぐ隣に三連の和館が平屋で表御殿・中御殿・奥御殿と並んでいたそうです。残念ながら旧北白川宮邸も取り壊されてしまい今はありません。設計は両方とも皇族のものだけあって宮内省内匠寮があたりました。一般には設計者としてまず名前が挙がるのは内匠頭の片山東熊ですが、実質的な設計は木子幸三郎がしたようです。フランスバロック風ルネサンス様式。

竹田宮邸 03
残念ながら中は撮影禁止だったので、画像がなくて申し訳ないのですけども、内装は迎賓館を訪れた人ならまず『似てる』と思うに違いありません。迎賓館が片山東熊の代表作なので似ていて当然なのですが、設計時期が迎賓館の工事が完成に差し掛かった頃というのも大きいようです。
一番分わかりやすく『似てる』と思わせるのは白漆喰に黄金の花綱装飾という華やかさ。よく考えると、この取り合わせって、ほかのどの豪華な洋館でもあまり見かけませんし、これにふさわしいのはやはり皇室だけな気もします。

竹田宮邸 04
こちらは普段、宴席・会議専用ということで一般利用はできません。確実に見る方法は今回のツアーに参加することです(笑)。
あとは結婚式にお呼ばれされるとか。ただその場合、2階は開放されないようですし、今回はバックヤードといいますか、普段見せないところも見られたのがツアー特権でした。例えばかつてのトイレや共同浴場は倉庫になってたりとか、2階の妃殿下の寝室・パウダールームさえ倉庫・パントリーになってたりとか。使用人の部屋が改装の際、トイレに作り直されたのとかはまあ、やむなしと思いますが、やんごとなきお方のお部屋が倉庫になっているのはちょっと寂しいかも(^_^;
非公開部分としては配膳用の螺旋階段も見せて頂きました。今は花屋さんが使っている地下はかつては厨房だったそうです。階段はものすごい急勾配だし狭かったので、ここを料理を持って上り下りするのは大変だったろうと思います。

竹田宮邸 05
改修は昭和46年、村野藤吾によって行われました。なお、迎賓館の改修も村野藤吾ですが、新高輪プリンスホテルは彼の設計です。大昔、とある歌手のディナーショーで飛天の間に行ったことがあります。なんとステージのかぶりつきという垂涎の席で見られたのですが、それはチケットを、私の知り合いのそのまた知り合いの女性のおじさんがかおじいさんだかがここを建てた人だからから取れたんだよ、と言われたのを久しぶりにプリンスに来て思い出しました。
そのころは建築に興味がなく、『なんか派手な建物・・・』としか思わなかったのですが、今にすればあの隣のテーブルに座っていたあの人は村野さんの親族だったのか~~。なんでもいいからエピソードの一つでも聞いていれば・・・と悔恨。

竹田宮邸 06
チャペルは一部改装。完全オリジナルなのは床と椅子で、椅子の真ん中についている太陽みたいなマークが竹田宮の紋章?だそう。2階にある一部のソファなども現存品。
桐の間、橘の間など、各部屋はもともとの名称を引き継いでいますが、菊の間だけは改称されたとのことでした(何に変わったのかは失念・・・)。いっしょに見学していた参加者が「菊だと恐れ多いから?」と言っていました。たしかにそんな理由かもしれませんね。

竹田宮邸 07
2階のベランダの柵はかなり低いです。これは、当時、高台にあるこの洋館からは品川の海が見渡せたので、わざと低くして、(多分ロッキングチェアなどに座っても)景色がよく見えるようにしたそうです。
今は庭に結婚式用の浅いプールが眼下にあって、もっぱら披露宴や挙式の時、上からの写真撮影に使う空間となっているそうです。ということで、こちらもツアーならではの見学スポットでした。 

(参考文献)


(今日のおまけ)
●松島屋(港区高輪1-5-25)
松島屋松島屋 ビラ
さんぽの途中でガイドさんが東京三大大福として有名な松島屋(ほか2店は護国寺群林堂、原宿瑞穂)へ寄ってくれました♪
松島屋は1918年創業の老舗で今月でちょうど今年で100周年! 
7/31-8/2の間、感謝を込めて大福が(?)100円になるそうです。
午前中に売り切れることも珍しくないそうですが、この日は暑かったためか?、まだ売っており、ツアー参加者もちらほら買っておりました。私は幸運にも当日、大福を頂く機会に恵まれまして、家族によいお土産が出来ました。大変おいしゅうございました。おご馳走様!!
クラブツーリズムの上記ツアーに参加してきました。
おひとり様 参加費 8,980円。なお、9月4日、20日にも同じコースがあります。

●品川プリンスホテル39階最上階 「TABLE9 TOKYO」
ツアーは去年12月にオープンしたばかりのTABLE9 TOKYOからスタート。のっけからランチ食べるのかなと思ったら、レストラン内をぐるっと360度案内して頂きました。お店の総称通り9つに分かれていて、ダイニングのほか、グリルや個室、バーなど見学。
近代建築ファンとしては内装より、窓からコンドル設計の島津邸と開東閣を見られたのがポイント高かったです(笑)。特に、開東閣側は普段、夜しかオープンしていないそうで、昼間の開東閣を上から眺められて良かったです。

島津邸
清泉女子大にある島津邸。食事をとったTOKYO FUSION DININGから撮影。

開東閣開東閣アップ
旧岩崎家高輪別邸・開東閣。三菱グループが所有しており、基本一般人は入れません。

見学が終わるとお昼です。あとで伺った話によると4500円のランチとのことだったのですが、HPをみたらサービス料別途13%とありました。ということは実際は5000円超。自分の中でサービス料10%でそこそこ高級店、13%はかなり高級店、15%は超高級店というイメージなので、ここは結構な高級店ざます。ま、正直、取りすぎと思うけど。。。

TOKYO FUSION DINING 二重箱TOKYO FUSION DINING 前菜TOKYO FUSION DINING ビュッフェ
二段重のお楽しみボックス / 新鮮野菜をブッフェから
重箱にはキャビアやフォアグラなどが入っていました。さすがそれなりのお金を取るだけはありますな。ツアー客にはブッフェで取れるものを予めお皿に盛りつけてサーブしてくれます。ビュッフェも利用可。

TOKYO FUSION DINING メインTOKYO FUSION DINING デザートTOKYO FUSION DINING 
ブッフェへ取りに行っている間にメインディッシュが来てしまい、説明は聞きそびれてしまいましたが、HPによると、「真鯛のロースト 鮮やかなロメーヌレタスのソース フィヨルドルビーとヒアルロン酸ジュレのアクセント」とありました。ツアーでなく普通のお客様ですとメインディッシュは別のお品も選べるようです(重箱とメインはビュッフェではありません)。
ショートケーキ、ガトーショコラ、マカロン、パンナコッタ、カップスイーツ、その他焼き菓子など(デザートもビュッフェ利用可)。 コーヒーまたは紅茶。

●三徳部品(港区高輪3-22-4 第一京浜国道沿い)
三徳部品
三徳部品 アップ
食後、いよいよ専門ガイドさんとおさんぽ出発。
東禅寺の坂下で説明を受けていたところ、目の前に看板建築が目に入ってしまってガイドが耳に入りません~(^^; が!建築関係の説明になると急に頭に入ってきます! 看板建築がライオン看板とも呼ばれていたというのは初耳でした! 由来は「表から見るとライオンのタテガミのように立派なことから」だそうです。
なお、こちらの建物は藤森照信先生の『看板建築』に出てきます(残念ながら「安易な看板建築」と評されていますが)。

●ドウシシャ(港区高輪2-21-46 第一京浜国道沿い)
ドウシシャ
江戸時代に高輪海岸に沿って作られた石垣石の説明などの後、しばらく第一京浜国道沿いを歩いていると、コンポジット式の付け柱のある建物と遭遇。
ガイドによると関西が本拠地のドウシシャという会社の建物だそう(流通サービス業)。ちょうどこの日、帰宅するとお中元にカニ缶が届いていて、会社名をみたらドウシシャとあり、ちょっと縁を感じていろいろ調べてみたところ、こちらの建物、もともとは日本綜合地所の本社ビルだったのを2010年にドウシシャが取得したようです。
ドウシシャ アップコンポジット式だったので近代建築なのかと思ったのですが、竣工は2008年と意外と新しい。セットバックした部分が現代風なので、いわゆる墓石方式で古い建物を残したのかな?とも思いますが詳細は不明です。
・・・ちなみに日本綜合地所は施工の1年後に倒産。その1年後にドウシシャのものに。
合掌。。。



●泉岳寺
泉岳寺
浅野長矩墓や赤穂義士墓などがあって有名なお寺。
講堂は大正14年築の和洋折衷建築だそうですが見過ごしました・・・
この後移動して、大石内蔵助ほか16名が切腹した、熊本藩下屋敷跡も見学。

●堀江歯科医院(港区高輪2-2-27)堀江歯科医院
大正末期あたりの建物のようです。
もともとは歯科医院だったのではなく、「鈴木商店」関係者が建てたらしいです。
鈴木商店が破綻した昭和2年に今の医院に売却されたそうで、そうなるとやはり破綻が原因で売り渡したのでしょうか。
(その2)に続く。。。

(参考文献)
ライオン看板 ライオン看板(ゼロメガ刊 小林一郎著」) 

(今日のおまけ) ●承教寺(港区高輪2-8-2)
承教寺の狛件(こまくだん)承教寺の狛件(こまくだん)アップ
ツアーのメインは何と言っても旧竹田宮邸だったのですが、それ以外で一番強烈だったのが、こちらのお寺の狛犬ならぬ、狛件(こまくだん)。半人半牛の姿をした怪物で必ずあたる予言をするのだとか・・・。
ここの件は立派な髭?があってペルガモン博物館のラマッス像の横に置いても顔力だけなら負けない感じ。そして頭と体がアンバランスで怪しさ倍増! クレイモアの妖魔みたい。
や~、夜見たら怖すぎる・・・。
今年は三越劇場・誕生90周年ということで、本館1階中央ホールでは4月26日~5月2日の間、資料展示やトークショーなどが開催されています。そのイベントの一つ、劇場見学ツアーに参加してきました。

三越劇場 全体初代の緞帳のデザインは杉浦非水が手掛けた。年間何千回も上げ下げをする緞帳は消耗激しく、現在のものは十数年前にとりつけられた「麗」という題のもの。

三越劇場

三越劇場 舞台から

大正3年に建てられた日本橋三越本店は、当時最新設備のエスカレーター(日本初)やエレベーター、スプリンクラーを備えた東洋一の百貨店と称されました。それが10年もたたないうちに関東大震災で燃えてしまいますが、躯体は残り、耐震補強され甦ったのが昭和2年。
延べ20万人余りを費やす大工事の末、今度は日本初の自動扉エレベーターなども備えた三越ですが、その際に当時の経営者の「建築だけでなく、文化的な復興も必要」との想いからつくられたのが、世界初、百貨店の中にある劇場・三越ホール(現在の三越劇場)でした。

上記だけでもいろいろと「初」の多い三越ですが、ファッションショーを日本で初めてしたのが、ここ三越ホールでした。とは言っても現在のようなウォーキングをする洋風のショーではなく、初回(昭和2年9月)は女優の初代・水谷八重子などが日本舞踊を舞うものだったそうです。

三越劇場 謎の顔
プロセニアムアーチ(額縁)の舞台・上中央には三越のロゴの両脇に口を開ける謎の顔が!!

三越劇場 獅子
麒麟に間違えられることもある獅子が舞台両脇に鎮座。

三越劇場 二階
当日は撮影可。奥に見える劇場扉には覗き窓がある。
日本橋三越は初代の帝劇や現存する日本工業倶楽部などを手掛けた横河工務所(現、横河建築設計事務所)が担当。劇場の設計資料がほとんど残っておらず、様式は不明ですが、百貨店の中にあるホールとして印象的なものとするため、ロココ調の雰囲気であるとのこと。
具体的な記録は残っていないものの、携わった子孫が遺した記録によると、あんまり派手でも下品になってしまうので、基調色をグレーとしたそう。大理石も灰色です。

三越劇場 舞台柱三越劇場 イルカ
三越劇場 顔
周壁には石膏彫刻。柔らかい素材で欠けやすいため、注意深く見るとちょこちょこ欠けた部分もみうけられる。
出所不明のモチーフが多いものの、震災で燃えたせいかイルカや貝など水を連想させるものも。

戦時中、三越店内の大方は統制機関に貸し出され、三越ホールは映画配給会社の試写室となりましたが、東京大空襲を免れたのは幸いでした。終戦翌年の昭和21年に「三越劇場」に改名し、早々に再出発を果たします。歌舞伎座も明治座も消失してしまった戦後において、再び「文化的な復興」を担う存在として、劇場を失った歌舞伎界のため、30本もの歌舞伎公演を上演しました。今でも続く「三越歌舞伎」です。

三越劇場 照明
電球の交換は大変だそうです。照明器具が見た目よりずっと重たく、交換は2~3名がかりだそう。

三越劇場 エアコン三越劇場 吸気口
開場当時から、画像左、上部の丸と半円の装飾口から冷暖房で空気を送り、画像右の床にある通気口から吸気。昔は下駄や雪駄でホコリが舞い上がっていた模様。両方とも今も現役。 

三越劇場 ステンドグラス
少し前まで一度壊れてしまえば修復不可能と言われていたけれど、可能、らしい。
天井のステンドグラスは今は防災上の関係でアクリル板を張ってあります。三越劇場のロゴはこのステンドグラス。2階客席からがよく見ることができ、その凹凸が感じられます。
作ったのは、別府七郎。ドイツで技術を学び日本初のステンドグラス工房を開いた宇野澤辰雄の最初の弟子で他に江の島・岩本楼ローマ風呂、川越・旧山崎家別邸、靖国神社・遊就館など手掛けました。
こちらの電球の交換もすごく大変で、交換する空間が狭くほふく前進でやっと通れるくらい。しかも一方通行なので、すぐ隣の電球も換えられないんだとか。

三越劇場 ステント1三越劇場 ステント2
天井の模様は78種類の色調を組み合わせたステンシルで、2階客席へ行くとステンドグラス同様、間近に見ることができます。音響をよくするため、薄い合板だそう。
近くで見ると・・・図柄がはみ出ているとかでもないのにどこか精巧さがない、奇妙な印象を受けました。
それで改めてステンシルについて調べたところ、ブリタニカ国際大百科事典によると、「型染のこと。型紙の模様を切抜いた部分に染料や絵具を摺り込む染色や版画の技法。きわめて初歩的な技法であるが,デザイン,版画およびフランスなどの美術印刷ではいまでも一部でこの方法が用いられている」とのこと。なるほど。それで何となくありもしないズレを感じたのかも。

三越劇場 スプリンクラー1三越劇場 スプリンクラー3三越劇場 スプリンクラー2
よく見ると、いろんな形のスプリンクラー
冒頭で大正3年当時最新設備のスプリンクラーと記述しましたが、実際は外国仕様のせいか、うまく機能せず、途中で破裂してしまったそうです。このため、復興の際はきちんと機能するよう徹底的に調べてから設置したそう。今でもちゃんと作動するそうですが、実際作動してしまったら、文化財としての価値は損なわれてしまうので、とにかくそのような事態にならないよう細心の注意を払っているそうです。

それで思い出したのが、八幡製鉄所のお話。増田彰久さんの『西洋館を楽しむ』という本の中で、八幡製鉄所はドイツ人が本国と同じスペックで作ったものの、まともな鉄が作れず大変だったという話が載っていました。日本の石炭はドイツのものより質が悪いし火力も弱かったせいのようですが、原因を突き止めるのに2年もかかり、それ以後、単に外国のものを単に輸入するだけではダメだと痛感し調査と研究を怠らなかったそうです。

三越劇場 躯体
皇室の方が来られると、ロイヤルシートがないので、2階最前列の12番前後にご案内するそう。そして実際、ここが一番見やすいです。
ステージ奥には普段白い布で覆われている躯体が見えます。一時期、柱を切る話が出たものの、下まで繋がっているため、ここを切ってしまうと建物全体に影響が及ぶということで見送られました。

 (参考文献)
 東京遺産な建物たち 
 月刊日本橋2017年3月号

 (今日のおまけ)
 本館1階中央ホールで展示中の「三越劇場のあゆ
 み~90年そして未来へ~」によると、北村薫『街
 の灯』に三越劇場が登場しているそうです。
 昭和初期を舞台にしたミステリー。北村薫という
 と、円紫さんシリーズが面白かったので、こちら
 も機会を見つけて読みたいと思います。
●楽善会訓盲院の跡地 築地4-5-2
市場橋公園内にはジョサイア・コンドルが設計した訓盲院の記念碑があります。

訓盲院の跡地
東京盲唖学校発祥の地 日本点字制定の地
1979(明治12)年 ジョサイア・コンドル設計により完成      
1880(明治13)年 楽善会訓盲院として開校          
1887(明治20)年 官立に移管 東京盲唖学校と改称    
1890(明治23)年 日本点字制定                
2010(平成22)年 11月1日建之

コンドルがお雇い外国人として来日したのが明治10年。訓盲院の完成は明治12年。
工部大学校の南門・門衛室を別として、これが家屋としては日本で初めて建てたもののようです。
なお、築地明石町・現在の聖路加国際病院の敷地には、コンドル設計した立教女学院と内部装飾を手がけたトリニティ教会(立教女学院隣接)もありました(関東大震災により崩壊)。

●築地本願寺  築地3-15-1
築地本願寺
端の塔は仏舎利をイメージしたストゥーパ

ちょうど先月、BS日テレの「ぶらぶら美術・博物館」で案内していました。その時のお話によると・・・
西本願寺というと京都にあるけれども、約400年前に江戸に別院を日本橋横山町に立てたそうです。それが明暦の大火で焼けてしまいました。その後、幕府から与えられた土地はなんと海の上→埋め立てて本堂を再建(築地の土地名の由来は土を築いたから)。
そして関東大震災でまた消失してしまい、再度建てたのが今の築地本願寺。
古代インド様式にした理由→「西洋の真似だけではだめだ! アジアの建物を作らなくては!!」
お寺の建築で鉄筋コンクリートが使われた草分け。

設計したのは伊東忠太。中国→ヨーロッパへとシルクロードを建築学研究していた伊東忠太と大谷探検隊を率いた西本願寺第22代宗主大谷光瑞の出会いが築地本願寺を設計するきっかけとなりました。
アジャンター石窟寺院をモチーフにしたと言われています。

築地本願寺 カルラ前 築地本願寺 カルラ後
迦楼羅(カルラ)インドの仏法を守る聖獣。狛犬はこれがもとになっているようです。

築地本願寺 拝殿ステンドグラス
向拝(ごはい。本殿や拝殿に向かうエントランスのようなもの)入口のステンドグラス

築地本願寺 拝殿 床
向拝 左の階段

築地本願寺 鳥築地本願寺 牛
築地本願寺 猿築地本願寺 馬
築地本願寺 獅子築地本願寺 象
向拝の両脇の階段には、鳥、牛、猿、獅子、馬、象がいます。
That's 忠太ワールドとでもいいましょうか。
なお、鳥は鳩とか孔雀とか鳳凰とかいろいろ言われていています。一応、本堂でもらったプリントには孔雀とありました(でも、一般庶民には太った鶏に見えます)。そういえば、牛も猿も馬もそれが何牛なのかとかあまり気にしませんが、鳥は気になります。。。

これらの動物は三畜評樹という仏教説話に基づいていると言われて、鳥、猿、象のうちで鳥が一番小さい、弱いものだけれども、一番高いところから物事を見る。物事を見極めるには全体を見渡すことが大事ということを表しているとのことです。三畜と言いつつほかの動物もいろいろいるのは何故なのかはよく分かりません。

築地本願寺 大本堂
大本堂の4本の柱にはそれぞれ中国の四聖獣「青龍」「玄武」「白虎」「朱雀」もおります。

築地本願寺 象二頭 築地本願寺 グロテスク
このほかにも動物がいて、大本堂入って右にその場所を記した大きな地図とプリントが用意されているのでこれを頼りに探してみるとよいかもしれません。
1階奥には象二頭、同じく1階正面右側の階段にはグロテスクと呼ばれる獅子(?)の口から手すりが出ています。同じデザインが一橋大学にもあるそうです。
ブログを作っていて気が付きましたが、中庭の2階には鳳凰もいるようです。見逃した・・・
あと本堂内壁の木目調の塗装も・・・
築地本願寺 夜
 (建築データ)
 竣工 :1934年(昭和9年)
 所在地:東京都中央区築地3-15-1
 設計 :伊東忠太
 施工 :松井組 
 構造 :鉄筋コンクリート造 
 備考 :平成26年 重要文化財

(参考文献) 


(今日のおまけ)
大谷光瑞と言えば!!自分の中では断然『帝都物語』の中に出てくる大谷光瑞ですわ。と言いつつよく覚えてなくて、男色趣味のある怪僧・・・みたいな印象だけ残ってしまいました。すみません、宗主。


(関連記事)
●甦った西本願寺「伝道院」と伊東忠太展
●龍谷ミュージアム 特別展「二楽荘と大谷探検隊」
●築地 近代建築巡り その1(築地場外の看板建築)