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渡邉千秋邸 その1

銀のポストでお茶した後、旧渡辺千秋伯爵邸へ。
渡辺千秋(1843~1921)という人は長野県岡谷市の人で下級武士→県役人→知事→宮内大臣と出世して伯爵となった人です。
もともとこの邸宅は東京高輪にあったもので、そこをトヨタが買い上げたことで、洋館は蓼科湖近くに移築され、記念館になったようです。

渡邉千秋邸 その2 渡邉千秋邸 その3

この洋館だけでも相当立派ですが、高輪にあったころは、とても広い和館がメインで、外国人が来た時だけ使う迎賓館のようなものだったよう。ちょうど湯島の岩崎邸の洋館のような役割ですね。
現役時代もほとんど使われていなかったようですが、今も非公開であまり知られていません。
トヨタが使用するのはどんな時なんでしょう。。。邸宅の隣には似た色調の建物が建っていて、人がいたので、管理するための家と人なのかしらと推測しましたが如何に。

渡邉千秋邸 その5 渡邉千秋邸 その6

渡邉千秋邸 その7 渡邉千秋邸 その9

渡邉千秋邸 その8

中は当然見られないのですが、『信州の西洋館』という本に内部の写真が載っています。中は外観のイギリス風のハーフティンバーからは想像できない、アールヌーヴォーや(リカちゃん人形の白い家具みたいな)ルイ16世風インテリアがあるようです。外観からわずかに見えるステンドグラスもアールヌーヴォーの影響を受けたとされています。

渡邉千秋邸 その4(建築データ)
竣工 :1905年(明治38年)
所在地:長野県茅野市北山4035
設計 :木子幸三郎





(参考文献)
信州の西洋館信州の西洋館
(1995/11)
藤森 照信

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「熱海の三大別荘」の一つに数えられる起雲閣(ほか2つは非公開の岩崎別荘と今はなき住友別荘)。
所有者は何度か変わっており、まず、大正8年に船舶事業で財を成し海運王と呼ばれた内田信也の別荘として建てられました。大正15年、今度は鉄道王の異名を持つ根津嘉一郎の手に渡り、さらに昭和22年には実業家の桜井兵五郎が「起雲閣」として旅館を経営しました。
平成12年からは熱海市の所有となり、一般に公開されています。

内田と根津がそれぞれ造った建物の間に部屋を入れ込んでつなげ、今は1周ぐるりと見学できる形に
なっています。これが結構広くて、後半は現役の旅館のなかに迷い込んだような錯覚を覚えます。
以下、洋館部分は根津嘉一郎の時代に築かれたものです。

起雲閣 (サンルーム・玉渓・玉姫)
1932(昭和7年)に建てられた洋館で、中がサンルーム、玉姫、玉渓に分かれています。

(サンルーム)
天井がステンドグラスになっているという珍しいものです。アールデコ様式で、見る者にはその華やかさがまず目に飛び込んできますが、結構重いのでしょうね。鉄骨でしっかり支えられています。
起雲閣 VITAまた、窓を良く見るとガラスに「VITA」と刻まれています。ビタ。ドイツ語読みではビタミンですが、こちらのものはイギリス製でイギリス読みではバイタ。バイタミン。バイタガラスという特殊なもので、紫外線を50%通すように作られています。バイタミンを通すのでバイタリティーが出て、ビタミンも増える起雲閣のパワースポットなんだとか。当時は紫外線と赤外線を程よく通し人間の健康によいと考えられていましたが、今のご時世では紫外線は100%カットのガラスが主流で
起雲閣 タイル生産されておりません。

なお、紫外線を通すと床が傷むということで、タイル張りにしてあるそうです。こちらすべて手作りで、京都の池田泰山によるものです。なんか・・・モザイクがインベーダーのように見えてきます。

欄間は貝の平らなところを集めた貴重なもの。
起雲閣 サンルーム3 起雲閣 サンルーム2
起雲閣 サンルーム1

起雲閣 玉渓3(玉渓)
客間として使われていた玉姫は暖炉がありイギリスのチューダー様式ではありますが、かなりエキゾチック。というのも暖炉の上はガンダーラの石仏のレプリカ。根津嘉一郎はここを床の間と見立て、奈良の古い寺の柱を床柱として据えました。
柱のガタガタした感じは名栗仕上げと言ってちょうな(まさかりが手前に曲がったような大工道具)で削ってできた凹凸です。 

なお、こちらの部屋には三島由紀夫が新婚旅行で宿泊しています。三島由紀夫ってパリとかにハネムーンにいきそうなイメージですけど熱海だったんですね。意外な気もしますが、熱海は一昔前はハネムーンの定番だったみたいですしね。
起雲閣 玉渓1 起雲閣 玉渓2

起雲閣 玉姫(玉姫)
食堂として使われていた部屋で基本洋風ですが、桃山風の天井、長押を廻した真壁、欄間など和風
さらに中国風シルクロード風のテイストが見受けられます。
部屋を出て廊下側からドアノブの写真を撮っていると、さっき受付にいたおばさんに遭遇し、この
建物が清水建設によるものであることや、ノブはアメリカ製であることなど教えてくれました。

洋館を離れ、3つ展示室が続き、旅館だった頃のパンフレットなどが見られます。
そこを抜けると再び根津嘉一郎が造った洋館へ。



(金剛)
暖炉上方、白い穴のような部分ををよく見るとスペード、ハート、ダイヤ、クラブなどの螺鈿細工が施されています。こちらも名栗仕上げで印象的。床は現在は寄せ木で張替えられてしまいましたが、当初はタイル張りでした。
起雲閣 金剛

(ローマ風呂)
1929(昭和4年)完成。1989(平成元年)の改築で天井や壁の材質が変更されたり、道路拡張工事のため浴室の位置と向きが変えられたりしました。当時のものしてはステンドグラス、テラコッタ製のカラン(湯だし口)、換気口金物などがあります。
起雲閣 ローマ風呂

(庭園)
根津嘉一郎の手によるもの。彼は茶人でもあり、自ら采配を揮ったという庭はさすがに立派です。
庭へは、一旦入口へ戻り、靴に履き替えてまた建物を出て左へ向かいます。
起雲閣 庭園

起雲閣 別邸(今日のおまけ)
起雲閣にはかつて山の中に別館がありました。
1948(昭和23)年3月7日~31日には太宰治がこの別館に滞在し『人間失格』の「第二の手記」まで執筆したといういわれあるホテルでした。
展示室の写真を見ると、別館はなかなか趣深い洋館だった模様。昭和63年にマンション建設のため取り壊されたようです。
ヴィラ・デル・ソルで聞いた話では、戦後、別荘が売却され、旅館やホテルになり、それもだめになってマンションに変わったそうですが、さらにそのマンションもダメになっている気がします。
海岸近くの道路を歩いていたら、マンション工事途中で放置されたとおぼしき光景を目の当たりにしました。起雲閣別館跡は今どうなっているのでしょう。

起雲閣 入口(見学データ)
●起雲閣 
住所  :静岡県熱海市昭和町4-2
電話  :0557-86-3101
開館時間:午前9時~17時(最終入館は16時30分)
休館日 :毎週水曜日(祝日は開館)、12月26日~30日
入館料 :大人500円、中・高校生300円、小学生以下は無料
備考   :熱海市指定有形文化財
ヴィラ・デル・ソルに泊まるために熱海へやってきました。熱海に来たからヴィラ・デル・ソルに泊まるのではないです。その辺はマニアですから(^_^; そのついでに熱海散策など。

●豆相人車鉄道
豆相人車鉄道通りすがりに南明ホテル前で「豆相人車鉄道」の駅舎跡に遭遇。豆相人車(ずそうじんしゃ)というのは早い話が列車を人の力で押して動かす乗り物のようです。えっらい原始的ですが、これが熱海~小田原間(25km)走っていたというのですから、人夫さんは体力ないと務まらないですね。。。
しかも6人or8人乗りで3人で押すって・・・利益はあがるんか?! 上等で運賃1円と言われてもピンときません。さらに6~8人しか乗れないのに下等・中等・上等のランクがあることにもピンときません。

熱海第一交通株式会社その1

熱海第一交通株式会社その2●熱海第一交通株式会社
起雲閣(→別ページ)を見たあと、市役所前の信号あたりから本格的に散策開始。ここは熱海街道(11号線)で、海側に下っていくとまず第一交通というタクシー会社の建物発見。三角の建物でガタガタとしたスカイラインとアーチ模様の窓がそれっぽいです。
場所的には太田屋の斜め向いあたり。

●中央町
その太田屋側の路地を入ると中央町。昭和の小さな飲み屋街みたいな?少しアヤしくなつかしい感じの町並み。アヤしいのはどうやら昔この辺りが赤線地帯だったからのようです。赤線地帯とか青線地帯とかいう言葉は横浜の日の出町のことを調べている時に初めて知った言葉でしたが・・・ま、ここで説明するのは憚られるものがあるのでご自分でお調べ下さい(笑)。
しかし今はおばちゃんが犬の散歩をしていたり、子供がボール遊びをしていたり。なんだか久しく見ていない、ほのぼの光景かも。

スナック亜

スナック亜 側面●スナック亜 (熱海市 中央町6)
角っこまで行くとバーンと結構な存在感を醸し出しているのが「スナック亜」。2本の突起した柱やら上部の波打つ模様やら中央の大きい蔦マークがいい感じです(そのお隣とお隣なんかもいい味出してます)。側面に「つたや」の字が消された跡がありますが、近所には「つたや酒店」がありました。何か関係あるのでしょうか。
この建物、近代建築のように見えますが→こちらのブログによると、昭和25年の熱海大火後の建物ではないかとのことです。
ちなみにこちらのお店、グーグルマップを拡大するとちゃんと「亜」って出て思わず笑っちゃいました。1文字の店は強いな。

スナック千夜●スナック千夜 (熱海市 中央町9)
「亜」の向かいあったかな。角のレリーフというか、鏝絵は波間をゆく鷹(or鷲)と植物。この仰々
しさ、一体なんでしょう。その絵図自体もこの組み合わせ自体も謎・・・。

スナック千夜 アップ



千笑 裏手には「千笑」があります。こちらモルタルのようですが、千笑の字の肉厚な盛り上がり具合・・・。そんなトコまでアヤしいや(笑)。

他にも丸窓のある建物や、ガラスキューブが使われた「アトミックカフェ」など探索の楽しい中央町でした。
アトミックカフェ


●旧横浜銀行熱海支店・熱海商工会議所 (熱海市渚町8-2)
旧横浜銀行熱海支店

丸文名産店再び熱海街道に戻り、中央町の信号を左折して2つめの信号の角に熱海商工会議所があります。
ここはかつての横浜銀行熱海支店だったようなのですが・・・詳しい事は不明です。
イオニア式の付け柱が平坦に感じられますが、いかにも銀行建築らしい重々しさはあります。

向かいには「丸文名産店」 窓の外装に半円アーチを描いた変わった建物です。

●高橋呉服洋品店 (熱海市 銀座町7)
熱海商工会議所から熱海銀座のとおりへあがっていきます。波打つアーケードはガウディか。。。
角にモダンな洋品店が。
高橋呉服洋品店 全体

高橋呉服洋品店 アップ ときわぎ
さらにのぼると厳めしい和風建築も。創業九十余年の和菓子屋「ときわぎ」です。

市外通話発祥の地●市外通話発祥の地
ひたすら真っ直ぐのぼりニューフジヤを越えた先に大湯(熱海七湯)があり、脇には市外通話発祥の地として記念のの電話ボックスが設置されています(電話は実物で使用可)。
明治時代、多くの政治家・政府高官が保養や会議で熱海を訪れたため、東京との連絡のため明治22年に電話回線が開通しました。それから約2年、かつてここにあった熱海電信局と東京の木挽町(今の銀座近く)にあった東京電信局とで公衆電話の取り扱いをしたのが市外通話の発祥とされています。
電話ボックス自体は上記の云われとは直接関係なく、日本初のボックス公衆電話を復元したもの。
このような六角形&白塗りで東京・京橋のたもとに設置されていました。

●某学博士の家
某学博士の家 全体 某学博士の家 
某学博士の家 表札
電話ボックスの向かいにはスパニッシュ瓦や二連アーチ窓が見られる和洋折衷の建物があります。
針金で立ち入り禁止にしてあり、今は誰も住んでいないようです。
表札には「○○博士XXXX」と書いてありますが、この「○○」の部分が昔の難しい字で読めない(^_^; にしても、昔の人は表札に自分が博士であることものせてたんですね。

(今日のおまけ)
熱海銀座を下るとサンビーチに出ます。
ここで不意に「確か貫一お宮の像があるはずだ!」と思い出し、見に行きました。
起雲閣で尾崎紅葉の展示品を見ても、「お宮の松」の案内表示を見ても思い出さなかったのに何故か突如砂浜で思い出しGO。像はこのすぐ近くです。
貫一お宮の像は尾崎紅葉の「金色夜叉」の有名な一場面。
将来を誓った仲のはずがお宮は成金と婚約してしまい、貫一がこの裏切り者ぉーと、怒髪天衝いてお宮を蹴り倒すという、まさにその瞬間の像なのですが・・・よく考えると、世界広しと言えども、男の人が女の人を蹴り飛ばしている像なんてこれだけでしょうね(^_^;
確か貫一お宮の像
ぬぅぅぅ~~うりゃ~~ぁ
でもって有名なのが貫一のセリフ。「一月の十七日来年の今月今夜は、貫一は何処で此の月を見るのだか!再来年の今月今夜・・・十年後の今月今夜・・・きっと僕の涙で曇らせてみせる」とかなんとか。
アア、粘着質のうらみがましい男だねェ・・・と思いつつ1/17が近づくと毎年、今年は曇るか?晴れるか?気になります。の、割に肝心の当日は忘れて毎年曇ったか晴れたか分からない私です。