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●旧中村健太郎法律経済事務所(中村健法律事務所) 
中村健太郎法律経済事務所 全体 中村健太郎法律経済事務所 照明

シンプルな建物ですが、玄関上の照明器具が素敵。村野藤吾、初期のものです。
本で見ると「中村健太郎法律経済事務所」で現在の表札は「中村健法律事務所」似て非なる名称。。。
何か繋がりがあるのか、あるいは単なる偶然か。
私たちがカメラ小僧のようにワラワラと写真を撮っていると、脇に車をとめていたおじさんが、「ちょっと待って」とわざわざ移動してくれました。どうもありがとうございます。
ちなみに、向いの通りには、明治6年この地に大阪慶応義塾が開校された記念碑があります。

(建築データ)
竣工 :1938年(昭和13年)
所在地:大阪市中央区北浜2-4-10 
設計 :村野藤吾
施工 :不詳 
構造 :鉄筋コンクリート造3階建
 
●大阪市立愛珠幼稚園 
大阪市立愛珠幼稚園日本に現存する最古の幼稚園です(国重要文化財)。園自体は明治13年創設。建物は現在3代目で明治34年のもの。約20年間で3回も建て替えた後、、100年以上生き長らえているなんて立派。
現役の幼稚園なので中を見ることはできませんが、お隣の緒方洪庵の適塾を見学している時に2階からジャングルジムなどがチラリと見えました。

後日、教えて頂いて見た、BS朝日「百年名家~築100年の家を訪ねる旅~」で内部が紹介されていましたが、吹き抜けの遊戯室は格子を組まれた桃山様式の天井が高くて広々。
卒園生が老年になっても遊びに来るだけの吸引力がある建物でした。
昭和11年に設置されたぐるぐるのすべり台まで重文に指定されているのもツボ。

(建築データ)
竣工 :1901年(明治43年)
所在地:大阪市中央区今橋4-4-1
設計 :伏見柳、久留正道、中村松竹
備考 :国重要文化財

●旧大阪教育生命保険・大中証券(現オペラドメーヌ)
オペラドメーヌ 全体

オペラドメーヌ 入口 オペラドメーヌ コーナー

煉瓦に白のストライプ、と言ったら「辰野式」。そして実際、辰野金吾の事務所による設計です。
明治45年に建てられてから100年。大阪教育生命保険→大中証券→シェ・ワダ→そして現在のウェディング会場という変遷をたどっています。
内部はチロリと見た限り、完全に改装されていて(HPを見たところ、やはり面影なし)、近代建築好きは外観だけ見れば十分というちょっと残念な状態です。そしてもう一つ残念なのは、外観がなんだかホロ汚い(失礼)かなぁ・・・ということ。銅板がきれいに緑青をふいてるでなく黒ずんでいたり、煉瓦が白くなっていたり。重厚感よりボロっちいっていう印象でしたよ・・・。
ウェディング事業で利益が出たら、外観の修復にも力を入れて欲しいところですが・・・。

(建築データ)
竣工 :1912年(明治45年)
所在地:大阪市中央区高麗橋2-6-4 
設計 :辰野片岡建築事務所 
構造 :煉瓦造2階建

●日本基督教団浪花教会
浪花教会
浪花教会は明治10年設立。今の建物は昭和5年に建てられましたが、色板ガラスは明治時代にはめ込まれたもののようです。
ヴォーリズ建築事務所の指導のもと、竹中工務店の石川純一郎・早良俊夫が設計施工しました。
訪れたのは、ちょうど日曜の礼拝が終わった頃で、内部を見せて頂きましたが、中の写真公開はNGということで、外観のみの紹介です。

外観はゴシック様式で四角積み木のような印象ですが、2階の礼拝堂は尖頭アーチ部分の壁に奥行きを持たせた窓になっていて、その厚みが柔和な雰囲気を醸し出しています。

(建築データ)
竣工 :1930年(昭和5年)
所在地:大阪市中央区高麗橋2-6-2 
設計 :ヴォーリズ監修指導 
施工 :竹中工務店
構造 :鉄筋コンクリート造、4階建

●細野ビルディング 
細野ビルディング その1
地下鉄で移動して船場から離れた細野ビルディングを見てきました。
訪れてみると、歩道より下に建物があって、わざわざ2段おりてまた2段上がるという段差は一体何だろう・・・と思っていたら、建物目の前の長堀通りは昭和40年まで川で、埋め立てた際に周りの地盤が上がってしまったのだそう。なるほど。それでこの段差。
外観1階の石張りは、その川から輸送してきたもの。地の利を生かしてか、石は1枚1枚が大きいです。

細野ビルディング その2 細野ビルディング その3
細野ビルディング その4 細野ビルディング その5
この日はちょうどオーナーがいらして修復工事をされていました。私たちに「改装したほうがいいと思う?それともこのままがいいと思う?」と尋ねられました。
既にこのビルの持っている今の雰囲気は得がたく、「このままがいい!」と答えたのは言うまでもありません。

(建築データ)
竣工 :1936年(昭和11年)
所在地:大阪市西区新町4-5-7 
設計 :細野組建築部 
施工 :細野組 
構造 :鉄筋コンクリート造3階建、地下1階

(今日のおまけ)
土佐稲荷神社最後に土佐稲荷神社へ行きました。こちらは明治7年に三菱の創始者である岩崎弥太郎が所有することとなり、三菱本社の創業の際は社殿を新築したそうです。境内をよくよく見ると賽銭箱に三菱のスリーダイヤのマークが入っていたりして繋がりが分かります。
宮司さんのお話も聞けまして、面白かったのが、青銅の狛犬のエピソード。本社殿向かって右にある青銅の狛犬の裏には銘文が刻まれており、内容としては二代目社長・岩崎弥之助が母の願いでこちらに蔵にあった狛犬を寄進したというようなことが書いてあるのですが、狛犬を新たに調達するのではなくて、既にこんなものを持っているというのが、さすが岩崎家。普通、こんなもの持ってないでしょ。
で、この狛犬、なんと片方盗まれてしまい、左のは複製なんですと。しかも、蔵にあったものを持ってきたので、本来神社に置く狛犬としてはちょっと異なるものだったらしく、口が「あ・うん」の対ではなかったらしいです。それで複製を作る際には、口を閉じたものにしたのだとか。
怪我の功名?

(参考文献)
京都・大阪・神戸【名建築】ガイドマップ京都・大阪・神戸【名建築】ガイドマップ
(2011/10/31)
円満字 洋介

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見学会2日目は中央公会堂からスタート。

●大阪市中央公会堂 
中央公会堂 全体

大阪のシンボル的な建築と言ったらやはり中央公会堂です。 「その1」で紹介した中之島図書館は住友家からの寄付で建てられましたが、こちらは株で財を成した岩本栄之助からの寄付で建てられました。
建設にあたっては指名方式のコンペを実施。17人指名したうち13名が期限内に応募したそう。
一等当選したのは当時29歳の最年少・岡田信一郎だったのですが、応募者には伊東忠太・武田五一・長野宇平治と建築界のビッグネームが名を連ねています。

若い岡田にとって中央公会堂は出世作となった訳ですが、実際の建物は岡田の案に審査員だった辰野金吾が手を加えたものになりました。岡田案の透視図と実物を見比べてみると、透視図がもっと華美というか、装飾が多いのに比べ、現物はシンプルになった感じ。原案を踏襲しているので、素人から見ると印象としては別に問題ないように思えますが、本人からするとどうなんでしょう。
絵画の世界では師匠マネが弟子モリゾの絵にガンガン加筆して、大変立腹した(しかも出品したくなかったのに結局サロンで入選してしまった)なんていう有名なエピソードがありますけど・・・岡田信一郎も怒ってたかも? 
ま、師であり建築界のドンである辰野に文句など言えるはずもありませんです。

中央公会堂は広いので今回は特別室のみご紹介。
中央公会堂 特別室1 中央公会堂 特別室2
この日は日曜日で、結婚式の準備をされていましたが、同じ見学会の方が見学を断ってくれて運良く中まで見ることができました。感謝!

天井画は当時を代表する洋画家・松岡壽(ひさし)によるもので、題名は「天地開闢(てんちかいびゃく=世界の始まり・天地創造)」。
中央公会堂 天井画 

日本神話の別天津神(ことあまつがみ)が、伊邪那岐・伊邪那美(いざなぎ・いざなみ)にこれで大地を創りなさいよーと天沼矛(もしくは天の瓊矛。あめのぬぼこ)と授けている場面です。
もくもくの雲と神様3柱に鳥2羽という、シンプルな構図。2002年の大規模な修復前は桟の跡がくっきり残って格子状の模様になっていました。

中央公会堂 素戔嗚尊 中央公会堂 太玉命
左画像は北側の壁画は伊邪那岐・伊邪那美の子「商神 素戔嗚尊(すさのお)」
右画像は南側「工神 太玉命(ふとだまのみこと)」

中央公会堂 ステンド内側 
中央公会堂 ステンド外側窓には国内最大級のステンドグラスがあり、祝い事の象徴・鳳凰が見えます。
その足元には「文」に似た感じにデザインされている大阪市の市章・澪標(みおつくし:浅瀬を通行する船のための水路標識)。

丸い部分は凸レンズになっていて、光を拡散させて絵を保護する役目があります。

  ↓ドアの左右の装飾は刺繍。
中央公会堂 特別室3(建築データ)
竣工 :1918年(大正7年) ・2002年(平成14年)改修
所在地:大阪市北区中之島1-1-27 
設計 :岡田信一郎(原設計)、辰野片岡建築事務所(実施設計) 
施工 :清水組 
構造 :鉄骨煉瓦・鉄筋コンクリート造3階建、地下1階
備考 :国重要文化財

●難波橋
難波橋 全体 難波橋 ライオン
京阪電車のKPRESS3月号に、ちょうど難波橋の記事が載っていました。難波橋自体は奈良時代からあり、市電が走るようになった明治45年に現在の場所へ移動。その3年後に鋼製として建て替え。この時に
ヨーロッパの橋によくあるライオン像をまねて設置したようです。ライオン像は橋の四方に鎮座していますが、同じものがもう1体「がんこ和歌山六三園」にあるのだとか。
そういえば、ライオンの背後から写真を撮ってたら、「いま、ライオンのお尻、撮ってなかった?」と、すかさずツッコミ受けました(笑)。鋭い! でも、お尻フェチって訳じゃあないんです。

(建築データ)
竣工 :1915年(大正4年) 、1975年(昭和50年)改装
形式 :合成桁及RCアーチ
橋長 :187.2m
幅員 :21.8m

●北浜レトロビルヂング(旧・林降産業)
北浜レトロビルヂング証券仲買商の商館として設立。戦後は建築機材の商社・林降産業の本社社屋に。その後、売却物件となったところを平成9年、現オーナーが買い取り、保存改修。
今は英国風喫茶になっています。以前、ここでお茶したことがあるのですが、メニューの中にお店の購入から開業までのいきさつや並々ならぬ熱意がまとめられていて感服した記憶があります。
今回は外観を見ただけだったので、ここの話はまた別の機会に。。。

(建築データ)
竣工 :1912年(明治45年)
所在地:大阪市中央区北浜1-1-26
設計・施工 :不詳 
構造 :煉瓦建2階、地下1階
備考 :登録有形文化財

●旧大阪証券ビル市場館
大阪証券ビル ホール 大阪証券ビル 格子

大阪証券ビルは2004年に保存建て替えされました。オリジナル部分で残ったのはドーム部分、内部ではステンドグラス、エレベーターの扉などがもとのまま。
大阪証券ビル 全体また、保存を機に昔の写真を手がかりにホールのシャンデリア、窓の金属格子が新たに取り付けられました。

(建築データ)
竣工 :1935年(昭和10年) ・2004年全面改装 
所在地:大阪市中央区北浜1-8-16 
設計 :長谷部竹腰建築事務所
施工 :大林組 
構造 :鉄筋コンクリート造6階建 地下2階付

(参考資料)
  大阪人 2002年12月号大阪人 2002年12月号
日本の近代化遺産 第5巻 大いなる商都・民(みん)の力 ~大阪の近代化遺産~ [DVD]日本の近代化遺産 第5巻 大いなる商都・民(みん)の力 ~大阪の近代化遺産~ [DVD]
(2006/01/28)
藤森照信

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(今日のおまけ)
2日目のランチは高麗橋の北浜プラザ2階にあるイタリアン・ビランチャ北浜本店へ。
北浜プラザって2005年まで三越があったところだそう。今はタワーマンションも建ってます。
前菜・パスタ・メイン・ジェラートで1600円のコース(+100円でドリンク付)でした。
前日の美々卯でも「マー、このお値段でこのお料理なんてお安いわねー、さすが大阪ねーー」と参加者の方々がおっしゃっていましたが、ここもコスパが良く、料理もおしゃれでおいしかったです。
ちなみに、日曜にこの周辺でやってるお店がなかなかなくて困っていたら(しかも団体だし)、生駒ビルのオーナーがここのお店を紹介してくれたそう。見学会ってこういう手配もあって大変です。
お世話になりました!
ビランチャ 前菜&パンビランチャ メイン
ビランチャ パスタビランチャ ジェラートビランチャ 紅茶
●綿業会館
綿業会館 外観
イタリア・ルネサンス様式の外観を持つ綿業会館は東洋紡績専務取締役・故岡常夫氏の遺言による100万円の寄付と関係業界から集めた50万円(計150万円。現在の貨幣価値で約75億円)をもとに建設されました。
当初から国内だけでなく各国からの来賓が来ることを想定し、会員や来賓の好みに応じて、好きな部屋を選んでもらいたいという配慮から、さまざまな様式の部屋が用意されています。

(玄関ホール)
綿業会館 玄関ホール
ホールは外観と同じくイタリア・ルネサンス様式。床は多数、穴が空いているのが特徴のトラバーチンの大理石が使われています。中央にどどーんと鎮座しているのが、岡常夫氏の銅像ですが、戦時中の金属供出でこの銅像やシャンデリア、鉄柵などはすべて持っていかれてしまいました。ということで像と鉄柵は復元したもの、シャンデリアは当時とは違うデザインだそうです。
なお、こちらの建物は昭和6年に建てられていますが、最初から冷暖房設備のため、壁や天井の中に太いダクトを通してあります。

綿業会館 エレベーター綿業会館 郵便ポストエレベーター脇にあった郵便ポスト。
この手のものは大きいレトロビルにしばしば見られるもので、東京だと明治生命館などにもあります。
いずれも今は使われていません。




(会員食堂)
綿業会館 社員食堂その1

綿業会館 社員食堂その2食堂に入るとまず天井の豪華さに圧倒されます。
設計者の渡辺節は、この建物の設計にあたりヨーロッパやアメリカの視察をしており、その当時のアメリカで流行したデザインで、ミューラル・デコレーションなるものだそう。
ミューラルというのは英語で「壁画」。これは壁だけでなく天井も含む意味合いで、この部屋では壁にはなく、天井に装飾があります。
壁は大理石に見えますが、食堂で皿や食器の音を考慮し、木造の吸音材が使われています。
ちょっと叩くとプラスチックのような張りぼてのような軽い音がしました。

綿業会館 社員食堂その3玄関ホール側はアーチ窓になっていて、すりガラスのデザインが素敵です。
照明は裸電球を逆さに取り付けたもので、これなら庶民でもすぐ作れそう。。。
ところで、綿業会館の見学は毎月第四土曜日のみで、食事つきと見学のみの2タイプ設けられていますが、見学のみで参加しても、後日使える食事予約券が希望者にもらえます(但し平日のみ可で、2ヶ月くらいの期限つき)。

(談話室)
綿業会館 談話室その1


綿業会館 談話室その4

綿業会館 談話室その2綿業会館というと真っ先に挙げられるのがこの談話室であり、部屋奥のタイルタペストリー。高さ8mある壁の一角・縦6m、横4mに京都の泉涌寺で焼かれたタイルが貼り付けられています。これは設計者の渡辺節が1枚1枚並べる位置を決めたと言います。タイルは種類としてはわずか5パターンですが、釉薬をかけて焼かれたため、さまざまな色合いを醸し出し、複雑な陰影で部屋を独特なものにしています。その隣にある竹のような暖炉も存在感があります。雅楽の笙のようにも見えました。

十文字にワイヤの入ったフランス製の防火ガラス。昭和20年の大阪大空襲にも耐え抜き、良く見ると溶けかかった部分もあるようです(後で知ったので気付きませんでした。。。)。



綿業会館 談話室その3綿業会館 談話室その5タイルタペストリーの反対側にはかつての図書室(今は図書室としては使ってないそうです)へと続く階段。(支えがない)空中階段、しかも、斜めに取り付けてあって、角には隙間が! 相当な技術です。
隙間はともかく、イギリスルネサンス初期のジャコビアン・スタイルだったり、空中階段だったりで、旧岩崎邸を思い出します。と言っても、岩崎邸とこの談話室、解説なかったら同じジャコビアンって気付かない、というか、言われても同じかどうか感覚的にはピンとこない・・・。ここでの説明では「直線的な線が特徴」とのことで、確かにこの部屋はちょっと硬い感じ。でも岩崎邸は直線的って感じじゃないような。ジャコビアンもいろいろなのかしら。

もう一つ有名なのは、国際連盟満州事変調査団(リットン調査団)が訪れ、大阪財界代表らとここで会談ということ。調査団のリットン伯爵はイギリス人。この部屋を見てどう思ったでしょうね。

(貴賓室)
綿業会館 貴賓室その1窓や壁は直線的、天井と家具などは曲線という対比のクイーン・アン・スタイルの特別室。家具の足はすべて猫足のほか、直線でもいいところも曲線で作ってあるという、ジャコビアンと打って変わって分かりやすい様式のお部屋です。

戦前は皇室専用で、実際、高松宮家がおとずれています。
皇室専用だったからか??ここのシャンデリアは供出されてなくてオリジナルが残っています。戦後、進駐軍が使っていたけれども、お願いしてそのままの形で使ってもらったそう。その代わり、違うフロアは少しペンキを塗ったり、ベッドを入れたりと、よく聞くGHQのやりたい放題状態。
床は寄木で一番外は黒檀で模様付け、天井は漆喰で意匠はざくろ。子沢山、栄えるようという意味が込められています。

綿業会館 貴賓室その2 綿業会館 貴賓室その3

(会議室)
綿業会館 会議室その1現在も倶楽部の理事会などが開かれる会議室は、フランスのアンピールスタイル(アンピール=Empire 皇帝ナポレオンの帝政時代に流行したスタイル)。
白を基調とし、椅子にはナポレオンが好んだ赤色を用いています。
ここは別名、「鏡の間」と呼ばれ、お隣、貴賓室の扉を閉めると鏡が向かい合わせになっています。
鏡のまわりはパッと見、木材のように見えますが、木材に似せた茶色の大理石で作られています。
食堂のコルク壁が一見大理石に見えるのとちょうど逆ですね(芸が細かいのう・・・)。

綿業会館 会議室その2

(大会場)
綿業会館 大会場本館7階(屋上階)にある大会場へはエレベーターで移動したのですが、同乗の大阪のおばちゃんが、「次見るのはたいしたことあらへんで。いや、立派ねんけど、今まで見たもんに比べたら劣るわ」って。
で、見たら、ん~確かに。劣るわけやないけど、あっさり明るいやん。それってどうしても、軽く見えますわ。
案内書にも「アダム・スタイルと呼ばれる軽快で・・・」ってあるしね。
個人的にはミュシャのポスターの背景に合いそうなデザインでした。
柱型を並べた壁のデザインが特徴です。




(グリル)
綿業会館 グリルその1 綿業会館 グリルその2
本館地下のグリル。オリジナルは青いタイル張りの壁のあたりだそう。奥の壁にちょこちょこっと見えるタイルは象嵌彫りの要領で、壁をくりぬいてはめ込んであります。

(建築データ)
竣工 :1931年(昭和6年)
所在地:大阪市中央区備後町2-5-8
設計 :渡辺節(図面担当・村野藤吾)
施工 :清水組 
構造 :鉄骨鉄筋コンクリート造、地上7階、地下1階
備考 :平成15年重要文化財

(今日のおまけ)
京まんだら(上) (講談社文庫 せ 1-6)京まんだら(上) (講談社文庫 せ 1-6)
(1976/05/26)
瀬戸内 晴美

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談話室の壁を飾ったタイルは泉涌寺のものでした。
泉涌寺の最寄り駅は東福寺駅です。紅葉で有名な東福寺と比べ、少々マイナーではありますが、泉涌寺も広大な敷地を要するお寺で、瀬戸内寂聴の著作に詳細な描写がある楊貴妃観音などがあります。
その周辺にはたくさんの清水焼の窯元が点在しています。綿業会館のタイルタペストリーを手がけたのは、そのうちのどこかなのでしょう。
11月には大陶器市やスタンプラリーを実施しており、その間はセールも行っていますので、一般客も気軽に購入できます。ちなみに泉涌寺山内の今熊野観音寺は穴場の紅葉スポット。

(参考資料)
日本の近代化遺産 第5巻 大いなる商都・民(みん)の力 ~大阪の近代化遺産~ [DVD]日本の近代化遺産 第5巻 大いなる商都・民(みん)の力 ~大阪の近代化遺産~ [DVD]
(2006/01/28)
藤森照信

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某会の大阪見学会に参加してきました(そのついでに家族で京都旅行)。
世話人の方のご尽力により、行く先々で貴重なお話を聞くことができ、充実した近代建築巡りとなりました。資料集めや見学の手配、下見など、本当に大変だったことと思います。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。

●淀屋橋
淀屋橋その1 淀屋橋その2
見学会はここからスタート。橋の名前は豪商淀屋に由来します。木材を商うことから始めた淀屋ですが、米商人となって中之島を開発し、蔵屋敷が立ち並びました。淀屋は米市開催のため、公儀に頼らず自費で橋を渡しましたのが始まり。
現在の橋は御堂筋拡大に伴い、昭和10年に架けられたものです。
デザインは一般公募により大谷龍雄の案が一等入選しました。和も洋も感じさせ、端正で洗練されているというのが一等獲得の勝因のようです(実施設計は武田五一・元良勲など)。

(建築データ)
竣工 :1935年(昭和10年)
形式 :RCアーチ
橋長 :53.5m
幅員 :36.5m
備考 :重要文化財

●中之島図書館 
中之島図書館その1

中之島図書館は住友家15代当主・住友吉左衛門(養子で実兄は西園寺公望)からの寄贈により1904年(明治37年)に開館しました。その額、建設費に20余万円・図書購入基金5万円=現在の価値で40億円近くと、驚きの巨額です。しかも、1922年に住友家は増築の際にも寄付しています。

中之島図書館その3
末広がりの階段は見る角度によってとても複雑な奥行きを醸し出す。

設計は今回の近代建築巡りでこの後訪れた大阪倶楽部の初代建物も手がけた野口孫市。彼は住友銀行各支店も多く設計しました。ちなみに工事顧問は辰野金吾。
外観はルネサンス様式、内部はバロック様式。

中之島図書館その2この模型を見ると後の増築部分もよく分かります。増築部分がないと中央の柱の部分が大きすぎてアンバランス・・・

中之島図書館その42階の柱には渦巻きのようなものも見えるのでコンポジット様式か?


中之島図書館その5去年の秋ごろ読んだニュースで、橋下市長が「別のものに利活用すればいい」と発言し、今後の活用法で揺れていることを知りました。
古い建物ですから書庫の空調管理環境が芳しくなく、図書の保存場所として最適とは言いがたいという問題はあるものの、図書館の移転に反対の声も多いようです。

(建築データ)
竣工 :1904年(明治37年)
所在地:大阪市北区中之島1-2-10
設計 :住友本店臨時建築部
構造 :石造煉瓦造3階建
備考 :重要文化財



●日本銀行大阪支店 
日本銀行大阪支店 
今回は通りの向い側から見ただけでした。日本銀行と言えば辰野金吾ですが、こちらの支店が辰野の関西進出のきっかけとなったようです。
一時、辰野の代表作・東京駅と同じように建て替えて高層化が計画されましたが、保存を望む声により、1982年、外観はできるだけ保存・復元を前提に改修されました。

(建築データ)
竣工 :1903年(明治36年)、改修・1982年(昭和57年)
所在地:大阪市北区中之島2-1-45 
設計 :辰野金吾、葛西万司、長野宇平治
構造 :石造煉瓦造2階建

●三井住友銀行大阪本店営業部(旧住友ビルディング)
三井住友銀行大阪本店営業部
1900年、住友銀行の本店ビルを作るため臨時建設部が作られましたが、実物が完成したのは実にその30年後。
ヨーロッパの教会などでは100年以上かかって完成することもざらですが、企業建築では30年でも稀ではないでしょうか。見ればそれも納得できるほど、とにかく巨大なビルです。当初は5階建てではなく7階建ての予定だった(関東大震災の影響で計画変更)というから、そのままだったらさらに・・・
外面がクリーム色の竜山石に覆われ、かなり遠目でも「何か茶色い塊がある」と目がとまります。

(建築データ)
竣工 :1期・1926年(大正15年)、2期・1930年(昭和5年)
所在地:大阪市中央区北浜4-6-5
設計 :住友工作部
構造 :鉄筋コンクリート造5階建

●大阪倶楽部
大阪倶楽部 正面
大阪で一番最初にできた倶楽部です(大阪の代表的な倶楽部建築はここと綿業会館・中央電気倶楽部)。
本格的な英国風社交倶楽部として大正元年に建てられた初代の木造建築(野口孫市・設計)はわずか10年ちょっとで火災で焼けてしまい、2代目が今も使われている安井武雄設計のもの。
南洋風に東洋風を加味したと言われる独特の意匠が際立っています。

大阪倶楽部 トーテムポール

特にインパクトがあるのは、正面にある独立柱。トーテムポールがあるのは小学校の校庭くらいと思ってましたが、ここにもあったのですよ。大谷石を使っているため、彫刻が風化してる感じがちょっと残念です。

こちらは今でも会員制の倶楽部ですが、初期会員には加賀正太郎もいました。加賀氏というと近代建築的には現在アサヒビール大山崎山荘美術館になっている山荘の施主と言うのが、個人的には一番ピンときます。彼はランの栽培で有名ですが、元来多趣味で研究熱心だったせいか、画家に1枚1枚植物を描かせていたそうで、それらを当初こちらで100枚以上保管していたそうですが、今は3,4枚だけ飾ってあるのみ。残りは大山崎山荘美術館にあるそうです。美術館に行けば、そのうちの1枚は必ず飾ってあるとのことなので、今度行ったら探してみようと思います。
他にも、小磯良平の絵もさりげなく飾られていたりして、さすがに歴史のある倶楽部はそれなりのものを持っているんだなあと納得です。

大阪倶楽部 馬留め建物の外側には、囲むように塊が等間隔で設置されており、昔からずっと疑問だったんですが、この日やっと謎が解けました。その昔は馬が交通手段だったので、建物の周りに馬をつないでおくためのものだそう。
ウィーンなんかだと観光客相手にいまだに馬車が結構走っていますが、馬糞が転がっていて結構臭いです。
当時の大阪倶楽部も、臭かったかも・・・?

会員制のため、普段内部が見られない建築ですが、演奏会などは一般の人も参加できるので、その際は入口入ってすぐの壁泉などは見られます。床は市松模様の大理石で、波打つような模様は貝の化石だそう。なんでも、徳島の大理石で国会議事堂で使われたのと同じらしいです。

大阪倶楽部 バルコニー



外からはあまり分かりませんが、西のバルコニー(内側は階段の踊り場)のステンドグラスは風圧で内側にへこんでしまったそうです。

(建築データ)
竣工 :1924年(大正13年)
所在地:大阪市中央区今橋4-4-1
設計 :片岡建築事務所(安井武雄)
構造 :鉄筋コンクリート造4階建・地下1階
備考 :登録有形文化財




●ダル・ポンピエーレ(旧消防署今橋出張所)
ダル・ポンピエーレ大阪倶楽部の目と鼻の先にある建物ですが、ここもちらりと見るだけで終わりました。
今はイタリアン「ダル・ポンピエーレ」として営業中。
こちらの建物については、以前、記事にまとめたので、こちらをご覧下さい。消防署だったころの写真も見せてもらいました。

(建築データ)
竣工 :1925年(大正14年)
所在地:大阪市中央区今橋4-5-19
設計 :不詳
構造 :鉄筋コンクリート造、地上3階(一部中2階)
備考 :国登録有形文化財


(今日のおまけ)
午前中の見学を終え、ランチは「うどんすき」を考案したことで知られる美々卯の本店へ。
数寄屋風の落ち着いた雰囲気の建物で、美々卯弁当を頂きました。お刺身も天ぷらもついて1980円。
写真撮るの忘れたーという声がちらほらあったので全部載せておきます(⌒・⌒)
美々卯本店美々卯弁当その1美々卯弁当その2

御霊神社の鳥居食後、近所の珍百景を見に行きました。
なんと、車庫のまん前に鳥居が!何故ここに!?
それは昔ここは近くの御霊神社の敷地だったから。
なんか駐車が大変そうです。。。

(参考文献)
大阪人 2009年1月号
大大阪モダン建築大大阪モダン建築
(2007/10/20)
不明

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建築MAP大阪/神戸建築MAP大阪/神戸
(1999/06/20)
ギャラリー間

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南海ビルディング 全体

午前中の高島屋東別館に引き続き 「オープン!アーキテクチャー」に参加しました。
前日まで連日、確定申告と格闘して寝不足だったせいか、しばらくすると早くも疲れてきて、午前・午後と続けて参加するのは厳しかったかなあ・・・と思いましたが、参加者の半分くらいは午前のコースでおみかけした方々。やっぱりみんな考えることはいっしょなのねえ。

なお、こちらは「南海ビルディング&なんばパークス」というコースでしたが、なんばパークスは近代建築ではないので省きます(^_^;

高島屋大阪店現在の南海ビルディングは4代目にあたり、ネオルネッサンス様式。
ビルは3段階に分けて建てられ、高島屋はひとまず昭和5年に一部開店。当時の写真が高島屋のエレベーターフロア各階に飾られていますが、本当に途中も途中って感じです。
その後昭和7年7月9日竣工し、高島屋は15日からいよいよ本営業を開始しました。

そして近年、高島屋の改装にあわせて南海ビルもリニューアルされました。
改修にあたっては伝統を重んじた再生を目指し、できるだけ忠実に復元したそうです。
たとえばテラコッタ。極力原型に近づけるべく補修し、ものによっては取替え、具材がなくなってしまったものについては復元。
南海ビルディング 柱

また、現在外壁はタイルが貼ってありますが、建設当時は外壁すべて国産テラコッタで張り詰めていたそうです。それが戦前か戦後かは不明ですが、タイルに張り替えられ今につながります。
このタイルを調査したところ、状態があまり良くないということも改修のきっかけの一つとなり全面的にやりかえたそうですが・・・せっかく忠実な復元をめざしたならテラコッタにすれば良かったかと(笑)。
まあ現実的には高価なテラコッタを全面埋め尽くすのは難しいのでしょうけれど。
それでもなお、テラコッタの使用面積は日本一ではないかと言われています。

スチールサッシについてもオリジナルの上からアルミでカバー工法でできるだけもともとのデザインを生かしています。
庇部分は、以前は銅板だったものを、当時の写真を参考にできるだけ近いものに作り直したそう。

南海ビルディング 持ち送り壁の周りのふちの丸い形は卵。卵は生命を司どる象徴として、命が長く続いていきますようにという願いを込めた意匠だそうです。何気ないデザインの中にもいろんな思いが込められているのですね。

1階入り口には車輪と羽のテラコッタがあります。
これは昭和47年まで南海鉄道の社章だったものです。
由来は阪堺鉄道創業間もない明治19年、ドイツの農園で使用していた車両を輸入したところ、特別室に羽車のマークがついており、車に羽が生えて飛べば早かろうと、シンボルにしたのだとか。
その後、南海鉄道となって後も車輪を左向きから右向きに変えて使用。テラコッタは立体でまっすぐなのでどちら向きということはありませんが。。。

車輪と羽のテラコッタ

(階段)
従業員でも知らない人が多い、建設当時そのままの階段見学というのが今回の目玉です。
避難階段として今も現役(といっても使用度は少ないのでしょうが)。
バッファゾーン(緩衝地帯)としての特別避難階段。
床がゴムタイル。高島屋東別館で見せてもらった亜麻にの次あたりにくる床材だそう。
材質のことはよく分かりませんが、市松模様がとってもモダンで素敵。避難用で普段人の目に触れないのが残念なくらい。
見せてもらったのは2階でしたが、5階などは階表示が真鍮製で立派だそうです。
南海ビルディング 階段1南海ビルディング 階段2


(塔屋)
南海ビルディング 塔屋外観 南海ビルディング 塔屋
南海のもので普段入れない場所ですが、高島屋の屋上へ行けば近くで見ることもできます。
鐘つき堂と呼ばれながらも鐘はなし。昭和6年8月27日第二期工区の写真でも鐘はないとのこと。
それでも天井には何かを吊るした穴が残っており、謎となっています。なお、写真では塔の上に避雷針が建てられています。当事はここが一番高い建物だったからなのでしょうね。
今回は特別に中に入れてもらい、御堂筋を見下ろすことができました。これはなかなかないショットです!(大阪人でないため、その貴重さは本当はよく分かってませんが・・・)
昭和6年時の御堂筋の町並みも見せてもらいましたが、見事に日本家屋ばかりです。

御堂筋通り(現在) 御堂筋通り(昔)

(ライトアップについて)
今日は夜までいなかったので写真が撮れませんでしたが、南海ビルディングはみなみのシンボル
としてライトアップもしています。各テナントにはそれぞれ社のテーマカラー(高島屋=赤、三井住友=緑など)がありますが、協力してモノトーンに統一し、ビルそのものを浮かび上がらせているそうです。確かに、ごちゃごちゃいろんなネオンが光っているよりも品があって素敵そうです。これだけ大きいビルだとモノトーンであっても他に負けないでしょうし。

ほかにも新たに通路を設けて交通の便を良くしたり、高島屋はセラミックプリントで南海ビルとの連続性を図ったりするなど、ビルのリニューアルを通して、各社で協力しあい、街全体の価値を高める努力をしていると感じました。

昔の南海ビルディング
(建築データ)
竣工 :1932年(昭和7年)
所在地:大阪府中央区難波5-1-5
設計 :久野節(くのみさお)建築事務所
施工 :大林組
構造 :鉄骨鉄筋コンクリート造7階建、地下2階
備考 :デザイン協力=ジャン・A/ジャーディ


パークスタワー スージー(今日のおまけ)
見学の最後にパークスタワーを見せてもらいましたが、2階のメインエントランスの壁にはちょっとおもしろいものが。
数字のオブジェが取り付けてあり、ライトがあてられています。
その影を追うと・・・女の子が手すりに手をかけている姿が浮かび上がっています。
ちなみに女の子の名前は数字=スージーちゃん。