FC2ブログ
(その2より続き)

●京都大学 花山天文台
花山天文台 「花山天文臺」
「花山天文臺」 ”うてな”の字が時代を感じさせます。

花山天文台 外観
こちらアマチュア天文学では聖地だそう。一般対象の観測会は何十倍もの倍率でしかも当たっても自力でなんとかここへ来なければならない大変さ。これを思うと今回の特別公開は観光バスも出るしシャトルバスも出るし、見たければ誰でも来れるし、と天と地の差のようです。近代建築的にはかなり地味ですが、天文マニアにはものすごい特別公開なのかもしれません。

花山天文台 階段

花山天文台 1階 
わずかながらに感じられる1階内部の近代建築的フォルム。


花山天文台 階段

花山天文台 川崎造船所昭和4年建設当初の建物は本館と別館、記念館の3棟。

建物自体は京都帝国大学の営繕課が担当。19mくらいあるドームは造船会社
の方がこういう丸いものを造るのが
うまいということで川崎造船所(現在
の川崎重工)が施工。





花山天文台 ドーム
ドームの窓は真横に開く。モーターで開くがコンセントコードは短い。なのでコンセントが360度あちこちに設置してあり、近いところに差し込んで使う。
直径45センチの望遠鏡で国内3番目の大きさ。
ここができた当初は30センチのレンズだった。望遠鏡も地球の回転に合わせて動かす。今はいいモーターがあるが、ここのは古いので重力時計という重りで動き天体を追尾(1時間分くらい)。下まで来たら、ロープで引っ張ってまた重りをあげる。
このような古い望遠鏡がいまだ現役で使われているのは大変珍しいそうです。

花山天文台 2階
観測に明かりは大敵ということで、階段や窓にフタがある。

花山天文台 展望台より

花山天文台 別館と歴史館
天文台からの眺め。下に見えるのは別館と歴史館。

花山天文台 歴史館
歴史館は当時は子午儀を用いる観測所でした。一時期、取り壊しの話も出ていましたが、同大学建築学部の先生が昭和初期の木造屋根建築だとその貴重性を説いたことで保存・整備し歴史館となりました。

花山天文台 歴史館 灰皿現在は前出の30センチのレンズや天文台長だっ
た宮本正太郎がアポロ11号の月面着陸に協力し
た記念に贈られた灰皿(アームストロング船長
が月面に着陸した足跡を縮小したもの)などが
展示されています。
なお、宮本氏はヘビースモーカーで灰皿はヤニ
だらけだったそうです。
ちなみにこの建物は1977年ごろの河島英五の
「信望」
というアルバムのジャケットに使われ
ています。いまと違って緑っぽいボロボロの
建物に見えます。。。

花山天文台 別館 
別館ではこの日も太陽の観測中でした。


京の夏の旅(今日のおまけ)
今回利用した定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」は2017年9月30日(土)まで毎日運行中。9月16日(土)は本野精吾邸がお休みで小島櫻谷旧邸(櫻谷文庫)に振り替え、9月26日(火)は祇園閣が拝観中止なので注意が必要です。
HPや電話で予約可能ですが、自分の場合、HPで予約を試してみたら、どうもうまくいかなかったのと、当日・直前でも空席があれば参加可とあったので、まあ、正直ちょっとマニアックなコースなので、土日でなければ満員はなかろうと踏んでそのままバス乗り場に隣接している案内所(チケット売り場)へ直行。
で、当日10分前にチケット買いました。思った通りで参加者は定員数の約半分24名。踏んだ通りでしたが、出発前の案内所が混むということを念頭に置いていなかったのはちょっと失敗。当日ふらりと参加するにしても、もう少し時間に余裕をもって買った方が安心です。

当日実際のの所要時間(平日):5時間半 料金:大人9000円
HP:https://resv.kyototeikikanko.gr.jp/Teikan/Web/Default.aspx

定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その1(本野精吾邸と辻徳)
定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その2(白河院と祇園閣)
スポンサーサイト
(その1より続き)
本野精吾邸を見学した後は早々にランチタイムとなりました。

●白河院
白河院 外観1
こちらでお食事を頂きましたが、お食事処という訳ではないく、宿泊所の宴会場のようです。私学共済事業の運営のようで、誰でも宿泊できるようですが、予約は電話のみというのが今時っぽくなくなんだか共済ちっく??
宿泊施設と宴会場は別棟で、宴会場は前出の武田五一による和館。武田五一と言えば京都には洋館が多く残っていますが、もともと多彩な方で数寄屋造りの建物もおてのもの。

白河院 外観2
庭は明治から昭和初期にかけて活躍した七代目小川治兵衛によるもの。
小川治兵衛は植治と呼ばれ、円山公園や平安神宮の神苑、西園寺公望、山縣有朋の別邸など名だたる庭園を手掛けたことで有名です。それらに比べるとこちらの庭は小さめのようですが、作庭の時期が大正8年と、ちょうど植治の絶頂期にあたり、加えて当時のままの姿ということで京都市指定名勝になっています。
 
庭の池は実は池でなく防火用水。明治時代、琵琶湖から疎水を敷く大工事の時に権力もお金もあった政治家や経済人がこのあたりに別荘を作るときには池を作るにも防火用水を自分のところにひかせて池泉回遊式の庭を作ったという訳。ちなみにここは心という字をもじった心字池。

白河院 廊下より
東山は昔、松林だった延長でこの庭にも松が多く、建物の角に立派な松があり、とても見栄えがします。これもかなり効いているのでしょうか、TVの撮影でもよく使われ、渡哲也の松竹梅のCMなどもここで撮影されたそう。

白河院 違い棚

白河院 料理白河院 りんごゼリー
京料理の昼食。最後のリンゴのゼリーがふるふるでとてもおいしかったです。

●大雲院 祇園閣
祇園閣 外観

大雲院は織田信長・信忠の菩提寺(名前の大雲院は信忠の法名からとっている)でもともとは烏丸に所在していたものの、戦後、その一帯が繁華街となったため、昭和48年に現在の祇園町へ移転してきました。
その場所と言うのは財閥・大倉喜八郎の別邸・真葛荘があった場所であり、今も残る書院と今回特別公開の祇園閣は、喜八郎が昭和御大典により男爵に列せられた記念に建てられたもの。東京の大倉集古館も手掛けた伊東忠太に発注しました。
お寺で聞いた話では、祇園祭りで有名な京都だけれど、祭りがない時も訪れた人に鉾を見てほしいという思いで祇園祭りの鉾を模して喜八郎が造らせたとのこと。他方、バスガイドさんのお話では、京都に金閣、銀閣はあるが銅閣がないのでそれを造りたいと喜八郎は思っていたけど、なんだか屋根だけ銅をはったものになり、幻の銅閣とも言われているのだとか。

完成は昭和2年。喜八郎がなくなる前年で、本人は背負われて完成を見届けたようです。

祇園閣 鶴 普通、塔の上というと、鳳凰がいたりするものだけれ ど、こちらにいるのは金の鶴。実は伊東忠太の幼名鶴 吉、雅号・鶴彦、晩年は鶴王と名乗ったのだとか。
塔入口の両扉にも鶴がかたどられています。そしてその前の両脇には大成建設の前身・大倉土木のシンボルマークのライオンの石像が鎮座しています。ここは撮影禁止だったので敷地外からの画像しかありませんが、ライオンといってもいかにもなたてがみのライオンではなく、アルハンブラ宮殿のライオンの間にいるようなちょっとかわいらしいものでした。

内部はもっと忠太っぽい妖怪らしきものがたくさんいるのかな、と思ったら、1か所だけ魔物が球を抱えている照明があったくらい。塔の天井にはメダリオンのようなものがあって、東西南北に合わせて十二支が描かれていました。
壁を覆いつくす色鮮やかなシルクロードっぽい壁画は、大雲院の開創400年記念(昭和63年)に描かれた敦煌の壁画の模写だそうで、忠太とは関連なし。その年に塔が初めて公開され、2度目は3年前、そして今回3回目の特別公開。

祇園閣 屋根知恩院の山門よりも見晴らしが良いそう(地上36m。鉄筋コンクリート3階建て)。塔からの眺めも撮影禁止なのは、今のカメラは性能が良すぎて近隣住民の住居までよく映ってしまうからなんだとか。
 天気の良い日はあべ
 のハルカスまで見え
 るそうだけど、ハル
 カスがどんな建物か 
 知らぬ。。。


祇園閣 展望台伊東忠太の手による ものと知る前からな んとなく異質な建物 だなと思っていまし たが、喜八郎の死後、相続した喜七郎は気 味悪がって結局中に 入ったことはなかっ たそう。
以前読んだ『大倉喜 八郎 その豪快なる 生涯』からして対照 的な性格の親子だっ たようで、嫌がった のがなんか妙に納得  できる(笑)


(今日のおまけ)
湖月茶屋湖月茶屋 冷やしあめ
観光バスのコースではこの後、高台寺に隣接する湖月茶屋で一服できます。冷やしあめ・グリーンティー・抹茶ソフトクリームからの三択。
その中から冷やしあめを選びました。ちょうど先月、Eテレの「グレーテルのかまど」の松井今朝子さんの回で紹介していたもので、ほとんど関東には無いもの。自分も飲んだことがなかったので、試しに飲んでみました。簡単に言うとジンジャーエールの炭酸抜き?みたいな感じ。かなりショウガの辛味が効いている一方で甘みもかなり強い飲み物でした。

参考文献:建築MAP京都モダンシティーKYOTO
 

 (リンク)
 定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その1(本野精吾邸と辻徳)

 定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その3(花山天文台)
毎年京都では、普段非公開の文化財を一定期間公開していますが、今年の夏はなんと!公開テーマの一つが「近代の名建築」です。これまでも京都に行く度になんとなく特別公開のことは気にかけていましたが、近代建築にスポットライトが当たるのは、初めて? 今までにもあったのかな??

ともかく、今回公開された中で関連があるものは
・本野精吾邸
・大雲院 祇園閣
・京都大学 花山天文台
の3つ。祇園閣などは外観は幾度となく見ており、自力で見に行こうかな・・・とも考えましたが、この暑さのなか、あちこち行くのはちょっとシンドイし、花山天文台は東山駅から無料シャトルバスが出るもののちょっとハードル高いなあ・・・ということで、今回初めてこれらを効率よくまわる定期観光バスを利用することにしました。

10時に京都駅を出発し、最初に向かうは本野精吾邸。

●本野精吾邸 ~日本最初のモダニズム建築~
本野精吾邸 外観1
日本のモダニズム建築の先駆けとされる本野精吾邸(大正13年築)は今回初公開。
本野精吾というと、関東ではあまりなじみがありませんが、横浜の日本郵船博物館では船室デザインを見ることができます。それはたぶん、三菱合資会社の技師だった関係でと思いますが、詳しいことは分かりません。その後、京都建築界のボス・武田五一に請われ京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)の図案科教授になりました。

本野精吾邸 外観2

本野精吾邸 外観3本野精吾邸 外観4
こちらの建物の特徴は中村鎮式というL字型のコンクリートブロックを組み合わせ、中の空洞部分にコンクリートを流し込むやりかたで造られていること。L字にすることで強度が増すそうです。なんでも、関東大震災のときにこの方法で建てられたものはほとんど壊れなかったのだとか。

・平成15年にはDOCOMOMO(モダニズム建築に関する国際組織)日本支部から優れたモダニズム建築に選定されました。                    

本野精吾邸 1階
本野精吾邸はその後、三男の東一(とういち)氏が住んだようです。この方は海外での方が有名だった染色家だそうで、壁にかかっているものは彼の作品。リビングでロウケツ染めを行っており、天井には蝋が飛び散った跡が残っていました。

本野精吾邸 1階 暖炉
全体的に質素な感じの中で葡萄をデザインした暖炉が目を引きます。

本野精吾邸 階段明り取り 
L字の階段の上には明り取りの天窓。

本野精吾邸 2階 
今でも2階からは大文字の山が見えます。建てられた当時の本邸は今あるお隣の立命学院は立っておらず、周りは田んぼ。何もないところに初めてのモダニズム建築がポッツリ建ち、かなり目立ったことでしょう。立命館のお隣という場所柄、近くにはリーズナブルな定食屋さんがいろいろありました。

本野精吾邸 1階 写真本野精吾邸 1階 見取り図
明治42年から3年ほどドイツに留学。帰国後の大正3年に手掛けたのが西陣織物館(現・京都市考古資料館)。
精吾の父・盛亨(もりみち)は読売新聞創業者。兄・一郎は外務大臣。

本野精吾邸 2階 鶴巻鶴一邸写真
二階には本野の京都にある代表的な建築のパネルが飾られています。
山科区に残っている京都高等工芸学校の高長だった鶴巻鶴一邸(現・栗原邸)は昭和4年に手掛けたもの。
本野邸と同じくL字型のコンクリートブロックで造られています。今は誰も住んでおらず3年前と今年、公開されたそうですが、疎水沿いにあってちょっとお化け屋敷っぽく見えるそう。中は立派なものの、売りに出しても売れないのだとか。。。

 参考文献:建築MAP京都

(今日のおまけ)  
辻徳 外観

辻徳 入口本野精吾邸へ向かう途中、ちょうど赤信号で止まった四条堀川のバス停前に近代建築がありパシャリ。
後で調べたところによるとこれは日本で唯一の懐紙専門店の「辻徳」というお店でした。

●辻徳
住所:京都市下京区堀川通四条下ル四条堀川町271
営業時間:11:00~18:00
定休日:日曜日

(リンク)
定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その2(白河院と祇園閣)
定期観光バス特別コース「京の近代建築と市内一望の絶景をたずねて」その3(花山天文台)
京都鉄道博物館
29日にグランドオープンしたばかりの「てっぱく」へ行ってきました。
ちょうど開園時間直前に着いたため、めちゃくちゃ長い列ができていて、それを見ただけでちょっと滅入りましたが、券売機がたくさんあるせいか当日券でも意外とたいして待つことなく入れました。ただ、中に入っても運転シミュレーター、手動ジオラマ、SL乗車・・・並ばないと体験でいないものも結構あります。
特に、トワイライトプラザの運転シミュレーターは抽選に当選しないと遊べないのです。この日は9時20分の回の当選枠は88、11時20分で104。数字だけ見ると充分にも思えますが、実際は長蛇の列なので狭き門。
当たりが出揃い次第おしまいなため、落選どころか、並んでも抽選に参加さえさせてもらえないという超難関アトラクション。本気で当選したい人は早めにトワイライトプラザの抽選会場に並ばないと!

トワイライトプラザ1 トワイライトプラザ2
そのトワイライトプラザでは上を見てみましょう。こちらの上屋は大正3年に建てられた2代目京都駅の1番ホームの上屋鉄骨の一部が再利用されています。大正時代を代表する建築構造のトラス構造。
昭和25年の火災でも鉄骨部分は燃えずに、3代目京都駅となった後も使用され現在ある4代目駅の建設が始まるまでの80年間現役でした。その後も旧交通科学博物館の野外展示場上屋として利用され、今こうして新たな博物館で活用され続けています。

本館1階では鉄道の歴史が学べます。
旧新橋駅模型 昭和の駅
新橋と横浜にあった双子の駅舎の模型。    昭和の駅を再現したコーナー。

扇形車庫1
扇形車庫2
野外展示物の目玉である扇形車庫は大正3年竣工。当時煉瓦造が主流であった中、現存する最古の鉄筋コンクリートの機関車庫として国の重要文化財になっています。
大人1回300円で乗れるSLスチーム号の最終運転が終わると、車庫に戻るとき、ここの転車台乗って向きを変えるのが見られるそうです。

宇都宮駅を参考にしたと言われる旧二条駅舎(2階部分は平安神宮の大極殿参考とも。入母屋造で屋根の鴟尾(しび)などを見ると確かに似ています)。
旧二条駅舎1

旧二条駅舎2

もともとこの建物は京都鉄道の本社社屋兼駅舎でした(京都鉄道は明治40年国鉄に吸収)。
いまここにある経緯としては、明治37年に建てられたものを平成8年、JR山陽線の高架化の際に梅小路公園に移築されSL博物館となりました。今回のオープンに際しては、出口兼ミュージアムショップとしての役割を与えられました。
旧二条駅舎3


旧二条駅舎7

旧二条駅舎5 旧二条駅舎6
もともとは皇室が山陽地方へ行幸する際の出発駅という位置づけであったり、もとは二条城の近くにあった配慮からか、建物は一見、純和風ですが、窓は縦長の上げ下げ窓だったり柱や意匠が洋風的。

旧二条駅舎9 旧二条駅舎4
今はグランドオープン直後ということで、なんとショップに入るのに入場制限がかかり、お昼の時点で60分待ちという大混雑。行くならオープンフィーバが冷めた後か、入場してすぐショップへ走るほうがよさそうです。私はあきらめて帰りました。。。

旧二条駅舎8 (建築データ)
  竣工 :1904年(明治37年)
  所在地:京都府下京区観喜寺町
  設計 :不詳
  構造 :木造2階建


いわしパフェ (今日のおまけ)
 博物館になる前、こちらは梅小路蒸気機関車館という
 SL博物館でした。
 実はその頃にも一度行ったことがあります。
 もちろん今のような大盛況スポットではなく、のどかで
 ひなびた屋外展示場という感じ。
その博物館もいまや一気に全国区。周りの飲食店へも注目が集まること必死。
すぐ近くの梅小路公園「緑の館」1階の京野菜レストランでは、なんと期間限定で「桜といわしのパフェ」なるものが出ています。なんか見た目、正直なところ全然食欲そそられないんですけど(笑)、チラシには絶妙な一品って書いてあります。

(参考文献) 
二楽荘チラシ表 二楽荘チラシ裏

龍谷大学 龍谷ミュージアムで特別展「二楽荘と大谷探検隊」を見てきました。
2階で大谷探検隊、3階で二楽荘周辺のことが展示されており、3階を主に見学。

二楽荘は西本願寺22世法主・大谷光瑞が六甲山に明治42年に建設した別邸です。
もともとの別邸は京都にありましたが、天皇の別荘を建てるため宮内庁により買い上げられることになってその代わりとして建てられたのがこの二楽荘です。
総工費40万円(だったっけな?)土地代15万、建築費17万円。

二楽荘 全体
実際の設計には携わっていませんが、伊東忠太が助言を行っており、完成した本館を「本邦無二の珍建物」と評したそうです。外観をインドのタージ・マハルなどを模したことでそう評したのでしょうか(個人的にはそれほど「珍建物」に見えないんだけど・・・)。

建物は木造2階建て(半地下もあり)。当時その「珍建物」ぶりが話題になったのか、大阪毎日新聞が1912年に建物紹介を連載しています。

二楽荘 アラビア室
アラビア室:白と黒の市松模様の床、中央には噴水。柱・壁・天井、全て光瑞が自分で選んだ。
支那室:30坪。壁も天井もすべて中国風。壁には大谷光瑞が中国を訪れた際に収集した石碑の拓本などがかけられている。
英国封建時代室:アラビア室の隣り。壁を格子状の細い木枠が覆ってる。
英国近代室:16坪。真四角な小部屋で壁は薄いグリーン。日常の食堂として使用された。
回廊式書庫:書棚は25,6。日常利用する光瑞の書籍が置かれていた。

山の上ということでケーブルカーが作られたり、テニスコート、中学校(武庫中学)などもありました。
別荘に中学校というのがちょっと意外ですが、貧しい寺などの優秀な学生を集めて授業をしていたようです。

その他にもいろいろな試みが行われていて、例えば、農作や酪農もしており、乳製品を一般に売ったり、ここでできたマスクメロンは高い評価を受けたり。印刷部もあり、学校新聞のほか、書籍の出版もしていたり。そしてもちろん、大谷探検隊(中央アジアへの学術探検隊)の持ち帰った発掘品の研究をしたり。

発掘品を展示し一般公開したこともあったようで、ふたを開ければ、山の麓まで列ができるほどの盛況ぶり。2日目は数倍増え、2万3000人の見学者だったとか。あまりのことに午後1時には受付を終了してしまったと当時の新聞は伝えています。

ちょっとした理想郷のような二楽荘でしたが、光瑞が法主を引退した後はバックアップもなしに維持していくことは出来なかったようで、その処遇がなかなか決まりませんでした。結局は久原房之助(鉱山王と言われた実業家・政治家)が信者として建物管理したようです。
しかし残念ながら昭和7年、火事によって焼失してしまいました。
原因ははっきりせず、当時の新聞によると「ルンペンによって焚火?」なんていう見出しもありましたが、それは塀が高かったりして考えにくい・・・とか、現場に二つ折れ帽が残っていた謎・・・・などミステリー小説みたいなヒントだけを残してウヤムヤに。
ちなみに発掘品などは既に移動していたので、その辺の実害はなかったようです。
いずれにしても、六甲の名所と言われた建物が焼失してしまったのは本当に残念なことでした。

今回の展示では二楽荘を取り上げた新聞記事がファイルになっていて、おおーよくこれだけ集めたなあ・・・と感心しました。丹念な情報収集で研究が進んでいくんですね。

関連記事・・・ ●甦った西本願寺「伝道院」と伊東忠太展

(展示データ)
龍谷大学 龍谷ミュージアム 特別展 二楽荘と大谷探検隊
-シルクロード研究の原点と隊員たちの思い-


場所  :龍谷大学 龍谷ミュージアム 
     〒600-8399京都市下京区西中筋通正面下る丸屋町117(西本願寺前)
会期  :2014年10月4日(土)~11月30日(日)
時間  :10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日 :月曜日(祝日の場合は翌日)展示替等の休館有
入館料 :一般1000円 高校生・大学生700円 小・中学生300円