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6月に「旧モーガン邸を守る会」主催のツアーに参加した縁で「湘南邸園文化祭2010」のことを知り、その中のイベント、「善行雑学大学」主催の歴史散歩に参加しました。

そのパンフレットの説明文によると・・・
「旧藤澤カントリー倶楽部」は昭和7年(1932年)に開設されました。関東8大コースの一つとして日本オープン・日本プロ選手権が開催され、宮様や政財界の著名人がプレーを楽しみ、富士山、三浦半島から相模湾を見渡す眺望随一のコースでした。今年は、ゴルフ場跡地にある「聖園女学院の庭園」と一般には公開されていない「聖心(みこころ)の布教姉妹会の聖堂・庭園」を中心に周辺散策をします。また、「昭和7年の開所式」の初公開無声ビデオもご覧頂きます。
・・・とのことです。
9時に小田急善行駅改札口集合で早速、目玉のグリーンハウス見学へ。

グリーンハウス正面(グリーンハウス)
この辺り一体はかつてゴルフ場で、グリーンハウスは当時クラブハウスとしてゴルフ場のオープンとあわせて建てられたものです(国内に現存する最古のもの)。

歴史的にはいかの通り。
1932年 ゴルフ場としてオープン
1943年 旧日本軍に接収・海軍の司令部に
戦後  連合軍総司令部(GHQ)に接収
1940年代後半 クラブハウスは県職員宅に。
その後  合宿所
 
GHQはわりとすぐ引き上げ、運動場ができたようですが、ゴルフ場としては二度と陽の目を見ることはなかったようです(なんとコースは畑になってしまった)。

県立体育センター内に残ったクラブハウスはアントニン・レーモンドによるスパニッシュ様式です。
入口部分は地味な感じです。中に入るとすぐに2階への階段があり、上ると今は「玉屋食堂」になっています。このブログの趣旨からすると本当はここで食事をしたいところですが、今日は団体行動なのでガマン。

昭和7年の開所式 無声フィルムここの食堂で「昭和7年の開所式」の無声フィルムを見ました。
開所式には皇族も招かれ、鳩彦王妃允子内親王(朝香宮鳩彦王妃)など、なかなか豪快なショットだったようです。
無声なのでときどきテロップが入るのですが、「ティーショット」は「チーショット」と書かれていて笑ってしまいました。




3階は皇室と女性の更衣室。女性と言っても、当時ゴルフをするのは皇室や大臣の奥方など非常に限られていたので皇室と女性まとめて3階だったのでしょう。

グリーンハウス 見上げるアイアングリル グリーンハウス 見下ろすアイアングリル

2階からも見える曲線を描くアイアングリル(スパニッシュ様式の鉄格子)は3階にあります。
内側から見下ろすとまた別の風景が。かつては偉い方々がすぐ下を見下ろしたのでしょうか。ここも以前は真っ黒だったのをボランティアが掃除したのだそう。

グリーンハウス 手すり グリーンハウス 1階への階段

外観から見える筒状の部分は螺旋階段になっており、2階から3階にかけての手すりやモザイルタイルはなかなか状態がよいです。

グリーンハウス 2階厨房へ繋がる階段2階の中央階段を降りて1階へ。ゴルフ場時代はこの階に400人分くらいのロッカーがあったとのこと。
戦後、宿舎として使っていた時期もあります。周りではイモを栽培していたとか、お風呂は共同とか、その頃ここに住んでいた方はまだご存命とか、2階の厨房に続く階段とか...etc。

その後合宿所となりましたが、いまも合宿に使っているのか??、浴場からの湿気のせいなのか???、なんとなくカビくさいです。

グリーンハウス トレーニングルーム今はトレーニングルームなどになっていて、外には洗濯物が干してありました。






グリーンハウス ガラス1 グリーンハウス ガラス2

1階でガラスが一部壊れて落下していた部分。2階のテラスの床になっていてお洒落なので、これ以上割れない処置をしてほしいなぁ。。。。

もうちょっと設備を整えてから使わないと老朽化を早めてしまいそう。。。話では実測したときよりもさらに傷んでいるとのことで、確かに、鉄筋が剥き出しになっていたり、壁が剥がれていたりしています。どうも市には修復する財源がないようで・・・・まあ、それはどこの自治体も同じですね。
グリーンハウス 庭側外観 グリーンハウス つり橋


(聖園女学院庭園ほかコース史跡散策)
「ここがかつて○番ホールでした」という場所も歩きましたが、グリーンハウスをちょっと離れますと、兵どもが夢の跡・・・とまではいかないけれども、宮様たちがプレーに興じた名残はあまりなかったです。聖園女学院の庭園は見た・・・のかしら?校舎で休憩してなんとなく通り過ぎてしまったような。
ところで、こちらの学院の生徒さんたちは礼儀正しく私たちに挨拶して下さいました。
ああ・・・いい学校だなあ。

聖心の布教姉妹会(聖心の布教姉妹会「聖堂」「庭園」散策)
修道院ということで、内部の画像の公開はNGです。中はレンガの建物もありますが、何故か日本瓦の門とか聖堂もあり。もともとあった日本建物を修道院として転用したのかしらと思ったら、せっかく日本なんだから日本らしい建物にしようということで、こうなったそうです。
聖堂は法隆寺の夢殿を模したそうで・・・。でも中にはオルガンやマリア様の像。

お昼はこちらの敷地内の集会所?のようなところを貸していただき、各自持参したお弁当を頂きました。そのとき、シスターがお茶の用意ばかりか、農園で作っているさつまいもまで振舞ってくださいました。慈悲の心溢れるおもてなしでございます。おごちそうさまでした。

諏訪町内会館(小田急藤沢本町駅)その後、歩いて駅へ。駅前にあった建物もちょっとおもしろかったのでカメラに収めました。
ほんのちょっとF・ロイド・ライトっぽい諏訪町内会館。

日本橋美人あんぱん(今日のおまけ)
昼食持参ということで持っていったのが、室町ボンクールの日本橋美人あんぱん(写真一番奥がそうです。ビニールで外観がよく分かりませんね・・・)。
日本橋にはあんまりパン屋さんがないので(デパ地下にはたくさん入ってますが)、ボンクールは結構貴重な存在です。しかも、どのパンもなかなかクオリティが高い!
日本橋美人あんぱんは町おこし(?)の一環として開発された、榮太樓總本鋪とのコラボ商品。
中の餡が榮太樓製。そしてパン生地がフランスパン生地!これがいいのですよ~。この、ちょっと噛みごたえのある生地にあんこという取り合わせが。かなりお気に入り。
ほか、「日本橋美人なごみあんぱん」というのもあって一度食べてみたいと思いつつも、確か曜日限定とかでまだお目にかかったことがありません。
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「旧モーガン邸を守る会」主催のツアーに参加。

ジェイ・ハーバート・モーガン(ジェイ・ヒル・モーガンではないことが「ジェイ・H.モーガン―アメリカと日本を生きた建築家」に記されています)は丸ビルや日本郵船ビルなどの建設のため1920年(大正9年)にフラー建築会社の設計技師長として来日したアメリカ人です。当初は2年ほどしたら帰国の予定だったようですが、公私における良きパートナーを得て、そのまま日本で建築事務所を構えました。

ツアーでは彼のいた事務所や設計した邸宅など、ゆかりの地を見学してきました。

●旧露亜銀行横浜支店 1921年(大正10年)頃竣工
住所:横浜市中区山下町51-2
露亜銀行
この建物は、モーガンが設計した訳ではなく、事務所を借りていました(1階:貸事務所、2階:銀行の営業室、3階:支配人室)。
震災直後の写真を見ると、瓦礫の山の中、倒壊もせずどっしりと原型を保っている露亜銀行は立派な感じですが、実際は特別耐震が立派だったということでもなく、いかにも銀行建築的な四角い建物だったことと、地下に金庫があったりして地盤が良かったために倒れなかったようです。

●ニューヨーク・ナショナル・シティバンク(跡)
住所:横浜市中区山下町74-1
大和地所ビル シティバンク横浜支店の扉
かつてのシティバンク横浜支店(昭和4年竣工、昭和59年頃解体)。
今は大和地所のビルになっており、辛うじて正面玄関だけが保存されています。淋しい。。。
ビルの下を歩いている時は気付きませんでしたが、向かい側から見てビックリ! このビル、全身金ピカなんですね・・・。写真の反射でビル名がちゃんと写ってなかったので「大 地所ビル 金ぴか」で検索してみたら・・・・判明しました。大和地所ビル。
インパクトはあるけれども、なんか成金趣味っぽいよ~、と思ってたら・・・賃貸サイトのキャッチコピーは「高級感あふれる素適なオフィス物件!」だそうで。
そうか、あれは高級感だったのか・・・。

●ユニオンビルディング(跡)
住所:横浜市中区山下町75
ユニオンビルディング その1 ユニオンビルディング その2
ユニオンビルディング その3かつてのユニオンビルディング(昭和3年7月モーガンの設計、2001年解体)。
モーガンは事務所を露亜銀行からこちらのビル2階へ移動。
近年では大沢工業のビルとして使われていましたが、大沢工業が2001年に倒産してしまうと、早くもその年内に解体されてしまいました。今は高層マンションとなり、1階部分にユニオンビルの雰囲気が残されています。
大沢工業ビル時代の写真は「ようこそ!旧モーガン邸へ」の「J.H.モーガンとその作品」で見ることができますが、だいぶ改築されたらしく、「ジェイ・H・モーガン - アメリカと日本を生きた建築家」に載っているユニオンビルディング設計図と見比べて見ると同一建物には思えないくらいです。
逆に今のマンションのほうが設計図の名残が見受けられます。

●アメリカ領事館(跡)
住所:横浜市中区山下町6-1
ホテルモントレ横浜かつてアメリカ領事館(昭和7年竣工、鉄筋コンクリート造地上2階・地下1階)があった場所。
現在は「ホテルモントレ横浜」が建っています。
モーガンはアメリカ領事館の設計をホワイトハウスと瓜二つにしました。造りだけでなく、装飾といった細部までソックリにしていることから、単なるパクリではなく、領事館という、日本の中のアメリカの象徴として意図的にそうしたのでしょうか。

ちなみに「ホテルモントレ横浜(2006年開業)」の前は「ザ・ヨコハマ・ノボテル(2003年開業)」、その前は「ザ・ホテル・ヨコハマ(1979年開業)」でした。

●ホテルニューグランド 
住所:横浜市中区山下町10
ホテルニューグランド正面ホテルニューグランドは銀座の和光などを設計した渡辺仁の設計により昭和2年に竣工。
その後、昭和4年から9年にかけてモーガンが屋上や宴会場の増築、車寄せやグリルルームの改築を手掛けました。現在では屋上のスペイン瓦や三連のアーチの塔屋にその足跡を見ることができ、重厚なホテルにスパニッシュスタイルの軽快さを添えています。
なお、渡辺仁とモーガンは大正11年竣工した立憲政友会本部の共同設計者でもありました。

ホテルニューグランド 中庭から ニューグランド わずかに見える三連アーチと瓦

●山手111番館(ラフィン邸) 1926年(大正15年)竣工
住所:横浜市中区山手町111
山手111番館1999年(平成11年)に改修工事が行われ、その際、担当していた建築家がもしかしたらモーガンの自邸が現存しているかもしれない、と調査したところ、藤沢市大鋸(だいぎり)で発見されました。これをきっかけに本ツアー主催の「旧モーガン邸を守る会」が発足したそうです。
なお、山手111番館は平成23年1月1日から3月31日まで再び改修工事の為、休館となります。



●山手外国人墓地
住所:横浜市中区山手町96
モーガンのお墓 その1 モーガンのお墓 その2
昭和12年に亡くなったモーガン。ツアー当日の6月6日はちょうど命日でした。
お墓を見てみると・・・「DEC 10 1873 JUNE 6 1937」と刻印されています。これを見るとモーガンは1873年生まれということになりますが・・・実はモーガン、1868年生まれなのです。当時のパスポートは自己申告だったらしく、日本へ来日した時、実際は51歳でしたが、年齢詐称して(^^;、46歳ということにしたのですね。
きっと人生たそがれ始めの50代より、働き盛りの40代半ばの方が仕事的にも気分的にも未知の異国で働きやすかったのでしょうね。。。。

●横浜山手聖公会(クライストチャーチ) 1931年(昭和6年)竣工
住所:横浜市中区山手町235
横浜山手聖公会モーガンが手掛けたのは三代目クライストチャーチです。
初代は山手町105番地にあり、その後現在の地に移転。二代目は明治34年にジョサイア・コンドルが設計しましたが、関東大震災で倒壊しました。






●ベーリックホール(ベリック邸) 1930年(昭和5年)竣工
住所:横浜市中区山手町72
アーチ型の開口部サンルームの壁泉
クワトレ・フォイルスペイン瓦にクリーム色の壁
訪れたのが日曜日でちょうど結婚式がありました。ベーリックホールはモーガン建築の中では特に華やかで新しい門出の舞台にピッタリです。
建物は典型的なスパニッシュスタイルで、スペイン瓦にクリーム色の壁、クワトレ・フォイル(四葉と方形の組み合わせの窓)、アーチ型の開口部、サンルームの壁泉と本格的。
この2日前には夜、コンサートがあり、偶然中に入れてもらえることができたのですが、ライトアップされたホールもまた素敵です。その時の様子については後日アップしたいと思います。

一通りの見学が終わった後、参加者の方々とお隣のエリスマン邸でお茶をしました。
いつもは勝手気ままな近代建築見学ですが、今回は解説つきでモーガン建築という別の視点からいろいろ見ることできて良かったです。
楽しいひと時をどうもありがとうございました。

参考文献など:ようこそ!旧モーガン邸へ ホームページ、ツアー中のガイド、
ジェイ・H.モーガン―アメリカと日本を生きた建築家ジェイ・H.モーガン―アメリカと日本を生きた建築家
(2009/06)
水沼 淑子

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