白金甚夢迎賓館 全体

白金甚夢迎賓館 車庫つい1年くらい前まで「白金甚夢迎賓館」という名前にさっぱり聞き覚えがなかったのは、オープンしたのが2010年5月と割と最近のことだったから。
それまでスリランカ大使館邸(その前はベネズエラ)でしたが、ハウスウェディング会場となったことにより、一般人も利用できるようになりました。



白金甚夢迎賓館 門今回は、とある会の同期10人でこちら&近隣建築見学会を開催しました。
建築が好きな人々の集まりだっただけに質問・感想が飛び交い、お店の方も圧倒されていたかも(笑)。

施主であった渡辺甚吉は岐阜で土地経営や銀行を営む地元の名家の跡取りでした。この家は彼が新婚生活をスタートするにあたって造られたものですが、その前にヨーロッパ遊学に出かけることになっていて、それならついでにどんな家を建てるか、建物も見て回ろうと同郷の建築家・遠藤健三を同行させたようです。2人は1年をかけていろんな土地を旅する中で訪れた、イングランドのチューダー様式を気に入り、建てるならこれがいいと意見が一致したようです。

白金甚夢迎賓館 くぐり戸チューダー様式は16世紀イギリスのチューダー王朝期の様式で、建物に入る前、門のところでその特徴をまず見ることが出来ます。くぐり戸は上部が平たい尖頭のチューダーアーチで門まわりは鉄平石(諏訪地方・佐久地方に分布する輝石安山岩)。
藤森鉄平石のHPによれば、曽禰達蔵とともに曽禰中條建築事務所を開いた中条精一郎がこの鉄平石を好んで洋館に使い始め、昭和4年頃から、個人住宅の装飾分野にも広まっていったようです(この建物の竣工は昭和9年)。

建物は柱・梁などの骨組みが外にむき出しになっているハーフティンバー。このようなチューダー様式は昭和初期の洋館として一番好まれたらしいです。昭和9年竣工ですから、鉄平石だけでなくこちらもどんピシャリ。

(食堂)
白金甚夢迎賓館 食堂

玄関を入り右手奥がレストランになっています。ここでまず驚くのが、長テーブルのあるお部屋。天井がすごいです。全然スタイルは違いますが、天井を見上げた時の衝撃は、京都の船岡温泉にも匹敵します。

白金甚夢迎賓館 漆喰アップ 白金甚夢迎賓館 漆喰

漆喰の装飾は洋館では見慣れたものですが、いまだかつて、これだけインパクトのあるものを見たことがありません。こういった天井の漆喰もチューダー様式らしさの一つのようで、(写真でした見たことがないけれども、)京都の大丸ヴィラの天井もそういえば漆喰天井だったなあ・・・と思っていたら、甚吉邸を建てるにあたって設計の遠藤さんが参考に訪れた下村正太郎邸(中道軒)というのは大丸ヴィラのことでした。道理で・・・納得。
にしても、この派手な天井、一体何の図柄・・・? 
お店の方に聞いた話では、花のモチーフは甚吉が椿と百合が好きだったため使われており、剣のモチーフはヨーロッパでは家を守ってくれるという意味があり、この部屋以外にも至るところで、このモチーフが使われているそうです。

白金甚夢迎賓館 食堂2
披露宴だと窓際が新郎新婦の席

(旧応接間)
ウェディングハウスということで、今はチャペルのように設えてありますが、基本的には当時から変更なし。竣工記念アルバムの写真を見ると、かつては、暖炉の前には、右にコルビュジエのLC2のような椅子、中央と左には鋲打ちのソファが置いてあったようです。また、暖炉は大使館時代に、危ないので取り外したそう。そして、暖炉の上の絵は、よく見ると絵ではなくタイルで、柄は甚吉の故郷・岐阜にちなんで鵜飼が描かれています。
甚吉は十六銀行の頭取のほか、生命保険・電機・自動車など多くの企業の代表を務め、ここで多くの財界人と商談をしました。
白金甚夢迎賓館 旧応接間その1

白金甚夢迎賓館 旧応接間その2 白金甚夢迎賓館 旧応接間その3
こちらの洋館では木に名栗仕上げが施されていますが、それが一番分かりやすいのがこの応接間で、暖炉の上やちょっとした階段の親柱などに見られます。
名栗仕上げと言えば、これは熱海・起雲閣の玉渓の間でも見られるもので、チョウナで削って(正しくは斫る(はつる)と言うらしい)、わざとその跡というか風合いを残す加工のこと。チューダー様式では粗くして野性味を残すのが本領のようですが、日本の大工さんは、つい数寄屋造りにように丁寧に仕上げてしまって、大人しいものになってしまったようです。
なお、この部屋の扉の奥には使用人専用の裏階段があるそう。

白金甚夢迎賓館 トイレ 白金甚夢迎賓館 和室
(お手洗い)                        (2階:和室)
現在、1階は男性用。2階が女性用。画像左の扉  ここは畳のままですが、別の和室によっては、
はお風呂場なので、もとからのトイレの場所なの  GHQに接収されたとき、アメリカ人が畳をフローリン
でしょう。                           グにしてしまったそうです。

(吹き抜けと2階)
白金甚夢迎賓館 2階その1

白金甚夢迎賓館 2階その2 白金甚夢迎賓館 2階その4

白金甚夢迎賓館 2階その3白金甚夢迎賓館 2階その5
ステンドグラス・照明も昔のまま(この洋館の貸し出し条件として、改装しちゃいけないということもあるようです)。昨年の地震でも大丈夫だったそう。なお、こちらの内装デザインはほかにも、ラジエーターグリル、ノブ、コンセントプレート、押しボタン、食器、カトラリー・・・あらゆるものが、早稲田の教授で「考現学」で知られた今和次郎の手によるもの。設計の遠藤さんの恩師ということから依頼したそう。

(2階旧寝室)
白金甚夢迎賓館 2階寝室その1 白金甚夢迎賓館 2階寝室その2
白金甚夢迎賓館 2階寝室その3奥がクローゼット。ここの2部屋だけロココ調。
天井にある突起からすると天蓋つきのベッドだった・・・かも?
ほとんどの部屋と部屋はドアでほぼ繋がっています。





(庭)
白金甚夢迎賓館 貝塚伊吹 白金甚夢迎賓館 藤棚
こちらも昔のまま(白い石はあとから)。奥に藤棚。
こちらの貝塚伊吹(かいづかいぶき)は随分立派なもので庭師にほめられたそう。


白金甚夢迎賓館 車庫(車庫)
遠藤とイギリスに訪れた際、甚吉はロンドンでインヴィクタ車を購入し、このガレージにいれていたようです。
1936年(昭和11年)の多摩川のサーキットレースでは、渡辺家のお抱え運転手がインヴィクタ1928年型を運転し、見事優勝。
なお、建物の裏にはたくさんいた使用人用の男性用・女性用の家があり、今も片方は残っているそう。

見学のあと、会食会。その時にグループの中に愛知出身の方がいらっしゃり、渡辺甚吉氏について教えてくれたのですが、渡辺家では代々「渡辺甚吉」を名乗っていたようで、何をした人がどの時の甚吉さんか紛らわしいようですが、岐阜薬科大学の前身・岐阜薬専創設の際には建設費を全額寄付したほどの岐阜県一の素封家でした。寄付したのはこの洋館を建てた12代目渡辺甚吉(1856-1925年)のおじいさんにあたる10代目甚吉(1856-1925年。第十六銀行の初代頭取でもあります)。

白金甚夢迎賓館 玄関フロア(建築データ)
竣工 :1934年(昭和9年)
所在地:東京都港区白金台4-19-10
設計 :遠藤健三(装飾:今和次郎)
施工 :エンド建築工務所
構造 :木造2階建て

近代建築度 :★★★★★
チューダー度:★★★★★
料理     :★★★

(店舗データ)
●白金甚夢迎賓館 
住所   :東京都港区白金台4-19-10
営業時間:11:00~15:00(LO14:00)、
17:30~22:30(LO21:30)
定休日  :不定期
TEL    :03-5798-3890
備考   :完全予約制

(参考文献)  JAL会報誌アゴラ2011年10月号、
建築探偵の冒険〈東京篇〉 (ちくま文庫)建築探偵の冒険〈東京篇〉 (ちくま文庫)
(1989/12)
藤森 照信

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(今日のおまけ)
祖父の10代目甚吉さんについてちょっと調べてみたところ、おもしろい記事を見つけました(→九重69号 - 岐阜薬科大学) 。

話を簡単に紹介すると・・・昭和7年、「岐阜には豊富な薬草があるから薬学専門学校を作って新しい産業を開拓!かいたく!!」と意気込んでいた市長がおりました。しかし、昭和大恐慌もありビンボーだった岐阜市には学校を作るだけのお金がありません。そこへ大金持ち・甚吉おじいさんが登場。
気前良く、ぽ~んと全額建設費を寄付してくれて、「おお!これでなんとか設立できそうだ!」というところまでこぎつけたのです。
が、喜びもつかの間、同じ薬専の設立認可の申請を隣の愛知が先に出していて、肝心の国の方は「もう専門学校の増設はする気ないし、だいたいお隣の愛知におんなじもんがあるじゃない」と渋ります。
そこでがんばったのが、鳩山一郎の愛弟子で岐阜県出身の大野伴睦さん。「同じ薬専でも志が違ーう。岐阜は一個人の篤志によって立てるんじゃ。これぞ教育の精神じゃーーー」
そんな熱意で猛運動したおかげか、今の岐阜薬科大はあるようです。
そして甚吉おじいさんは、その功績で岐阜市名誉市民となりましたとさ。めでたし、めでたし。
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