三河島 全体
施設は大正3年に起工、同11年に運用開始された日本初の近代下水処理場で、現在、荒川区唯一の重要文化財となっています。
職員のおじさんが「奈良の法隆寺なんかも重要文化財ですが、つまりあそこと同じ価値なんですねー」と言うので思わず笑ってしまいました。

三河島 門衛所それまでの下水というのは明治期に造られた神田下水から未処理のまま川に流されていたそうです(要するに垂れ流し)。当時コレラが流行していた事を考えると、なんて危険なことをしていたか!
そんな時代背景から、やっとこさ出来たのがこちらの処理場な訳ですが、設計は日本橋の設計にも携わった東京市技師の米本晋一。設計にあたっては西欧諸国に派遣して最新技術を学ばせたそうで、できあがった施設は1日あたり、40万人分の下水処理能力がありました。                    門衛所

三河島 東阻水扉室 三河島 ろ格機室
東阻水扉室                       (手前)沈砂池 (奥)ろ格機室

処理の過程を(超)簡単にご紹介しますと。。。
1.沈砂池:大きな固形物や土砂を取り除く
2.沈殿池:微細浮遊物を沈殿
3.濾過池:泥塊の上に鉄平石、さらにその上に砕石、という層によって濾過。砕石を浸透する間に
  養殖した細菌によって腐敗性有機物を無機化
4.沈殿井:微細固形分を除去した浄化水を荒川に放出。

なお、作業工程により出た汚泥は肥料製造用として全国農業会に払い下げられていました。

三河島 ポンプ場
ポンプ室。柱型の3間ごとに櫛型窓が配置されている。

現在、旧三河島汚水処分場喞筒場(ポンプじょう)では、毎年春と秋に一般公開をしています。
こういった見学は近年のものと思いきや、意外にも処分場が出来た当初から行われていたようです。
昭和4年発行の『新版大東京案内』(中央公論社)の中では「帝都参観の人士の必ずや一度の訪問を受ける施設」とあるそう。・・・ま~、実際に見学した自分としては「え、ちょいと、そりゃあ、大げさ過ぎるんじゃないの」と思っていたら、その文献を紹介している資料(下記紹介の参考書籍)内においても「額面通りには受け取れないにしても」と書いてあって笑ってしまいました。
まあ、処理場ということで、建築的にはどうしても地味であります。

建物は一見、レンガ造りでレトロ感がありますが、実際は鉄骨・鉄筋コンクリート造。表面のみ煉瓦積か煉瓦タイル(品川白煉瓦株式会社製)。
一番奥に配されているポンプ室は当時日本に紹介されて間もないセセッション様式の影響が見られる、垂直線と水平線による平坦な面で構成されています。用途の性格上、セセッション様式の単純な抽象的構成が機能美をもたらし、ふさわしかったのかと思います。

三河島 ポンプ場トラス 三河島 揚重機
ポンプ場・天井 変形キングポストトラス     資材移動に使う揚重機。6トン半とある。
中は東西68.3mにのびた柱のない空間で、ちょうど富岡製糸場で見た製糸工場内と似た景観(こちらは140m超)。
現在は建物の下半分が鉄筋で補強されています。職員の方によると、もしこの補強がなかったら3月の地震で危なかったかもしれないとのことでした。

三河島 昔のポンプ場(建築データ)
竣工 :1921年(大正10年)
所在地:東京都荒川区荒川八丁目25-1
設計 :東京市技師米元晋一を中心として建設
構造 :鉄骨及び鉄筋コンクリート造
備考 :平成17年 国登録有形文化財

三河島本




(参考文献)
平成21年度 荒川ふるさと文化館 第二回企画展 
三河島と日本初下水処理施設
※(売り切れてなければ)荒川ふるさと文化館にて購入可(380円)



都営東日暮里一丁目アパート(今日のおまけ)
左の画像は行くときに見上げて思わず撮った都営東日暮里一丁目アパート。アパートっていうよりマンションの高さですが、いびつな字体がいい味出してます。
それと、帰りには女神インキに遭遇。こちらも古っぽかったので期待したものの、建物は近代建築風ではありませんでした。にしても女神インキって社名がすごい。上野あたりでも見かけましたが、そちらが本社のようです。

   女神インキ
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