富岡製糸場 入口

昨日、「富岡製糸場と絹産業遺産群」が正式に世界文化遺産に登録決定しました。
富岡製糸場は1872年(明治5年)、明治政府が富国強兵・殖産興業の一環として、フランスから最新技術を導入して設立した日本初の本格的な器械製糸工場です。
富岡製糸場 事務所(3号館)
正門入ってすぐ左にある検査人館(3号館)。生糸や機械の検査を担当したフランス人男性の住居で、2階には皇族や明治政府の役人が使用した貴賓室がある。普段非公開だが、特別公開で見られる時もある。現在は事務所として使用。

東繭倉庫
東繭倉庫。長さ104.4m。煉瓦は隣町・甘楽町福島の瓦職人が焼いた。2階に乾燥させた繭を保管。

生産された高品質の生糸は評判となり外貨を稼ぐ輸出品として日本の近代化を支える重要な産業となりました。
官営工場として富岡製糸場は日本の製糸業に大きな貢献をしたものの、工場の規模が大きすぎ、莫大な経費がかさんだため、政府は明治26年、富岡製糸場を財閥の三井家に払い下げ、民営化されます。
その後はさらに譲渡や合併を経て、片倉工業・富岡製糸所として昭和62年操業停止するまで、実に115年稼動しました。

東繭倉庫 キーストーン 今回、めでたく登録されるに至った背景には「世界の絹産業の発展に貢献」したことと、建物の奇跡的とも言える「保存状態の良さ」などがあるようです。
最後の持ち主だった片倉工業は操業停止「売らない・貸さない・壊さない」という社長の方針を守り、2005年富岡市へ譲渡するまで年間約1億円かけ維持管理に努めてきたということは4月の勧告が決まった時にテレビや新聞でもよく取り上げられていましたが、おかげで世界遺産につながりましたね。
余談ながらこの報道で株式相場では翌営業日、片倉工業の値が上がりました。株はこういうところが面白いです。上野動物園のパンダが妊娠したら本社が近い東天紅の株が上がったりとか・・・。

東繭倉庫 窓閑話休題。建物の設計は横須賀製鉄所建設に携わったフランス人のオーギュスト・バスティアンが担当しました。日本では地震が多いため耐震目的でただの煉瓦造ではなく、骨組みを柱と梁にする木骨煉瓦造にしたようです。木骨煉瓦造の建物というのは極めて珍しいそうですが、バスティアンが横須賀製鉄所の建物も木骨煉瓦造で造ったことを考えると自然の成り行きだったのかもしれません。


西繭倉庫
西繭倉庫。東と同じく長さ104.4m。仕様は多少異なる。煉瓦だけでなく目地は下仁田の青倉、漆喰は栗山産石灰と国産品。
富岡製糸場 繰糸場

富岡製糸場 繰糸場(内部)繰糸場。
全国から働く女性=工女を募集。世界的に見ても大規模な器械式製糸工場で最盛期には900人を超える女性が住み込みで働いていました。
繰糸場は水蒸気の熱気が厳しい所でしたが、定時の決まった就労時間と栄養のバランスが取れた3度の食事など先進的な職場環境だったようです。工女は技術を習得したのち出身地へ戻り指導者となる役割も果たしてしました。
屋根はトラス構造で柱がありません。このため、器械の入れ替えも可能で建物を壊さず済んだようです。

富岡製糸場 女工館(2号館) 富岡製糸場 女工館 ベランダ
女工館(2号館)。工女たちに機械による糸取り技術を教えるために雇われたフランス人女教師の住居。なお、検査人館(3号館)との連結部は、後に取り付けられたもので当初は独立した建物だった。

富岡製糸場 ブリュナ館ブリュナ館(首長館)。
明治政府は外国人指導者として横浜の商館で生糸の検査技師をしていたフランス人のポール・ブリュナを雇いました。彼は建設地(富岡)の選定、設備導入、技術者・女工経験者の雇い入れなどに携わりました。
ここはそのブリュナの家族とメイドが住んでいた建物ですが、任期が終わった明治8年以後は工女の夜学校や高校の校舎に転用され、かなり改造されてしまったようです。
現在内部を見学できるのは繰糸場と東繭倉庫だけで、こちらには入れませんが、地下にはワイン貯蔵庫がありました。
このせいか、ワインは若き女性の生き血で富岡製糸場へ入場すると外国人に生き血を取られるという噂が広まり、操業当初はなかなか女工が集まらず大変でした。そこで初代製糸場長の尾高惇忠は娘の勇を「工女1号」として入場させました。なんだか人身御供みたいですけど(笑)、実際は既に書いた通り、かなり福利厚生の充実した職場だったのでモウマンタイ。ほか、示しをつけるため、全国から武士の娘など名家出身の女性が集められたとのことです。

(参考文献)
ニッポン近代化遺産の旅ニッポン近代化遺産の旅
(2002/03)
清水 慶一

商品詳細を見る


(今日のおまけ)
高山社跡 高山社跡 繭
今回の世界文化遺産には富岡製糸場のほか、遺産群として養蚕教育を行った「高山社跡」、近代養蚕農家の原型「田島弥平旧宅」、自然の冷風で繭を低温貯蔵した「荒船風穴」が登録されました。
富岡製糸場以外の見学は手続き的にも立地的にもなかなか難しいようですが、3年ほど前、高山社跡を見学する機会に恵まれました。
高山社は高山長五郎が明治17年に設立した養蚕教育機関です。従来よりあった換気重視の「清涼育」と部屋を温めて飼育する「温暖育」のよいところを取り入れた「清温育」を完成し、全国から生徒を受け入れ教育、また卒業生を養蚕教師として派遣するなどして近代日本の養蚕技術の指導・普及を担いました。
現在、事務所や伝習所は残っておらず、母屋・長屋門・桑貯蔵庫跡が残されています。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://kindaikenchikurest.blog14.fc2.com/tb.php/189-d314d6df