エリザベスサンダースホームの見学で訪れて以来、3年ぶりに大磯へやってきました。
エリザベスサンダースホームというのは、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の孫(久弥の長女)である沢田美喜が混血孤児たちのために作った施設です。何故、大磯かといえば、岩崎家の別邸があったから(もっとも、戦後、財閥に重くのしかかった財産税のため、すでに物納されていたので募金を集めて買い戻した)。
岩崎家に限らず、都心に比較的近く気候の良い大磯は、伊藤博文が移り住んだことも影響し、別荘建築が流行り始めた明治中期から昭和初期にかけて、政財界要人の別邸が多く建てられました。

●JR大磯駅
JR大磯駅 外観
大磯駅は明治20年に開設。初代の駅舎は大正12年の関東大震災で崩壊してしまい、翌13年に再建されたのが今の駅舎です。
外観はそう特徴なく、近代建築っぽくもないのですが、構内を見上げると趣のある照明が残されています。

JR大磯駅 構内
竣工 :大正13年
所在地:中郡大磯町東小磯1
構造 :木造1階
設計 :鉄道省

●大磯迎賓館(旧木下家別邸)
大磯迎賓館 門
この日は「大磯オープンガーデン」という、お店だけでなく個人宅のお庭も見せて頂けるという町ぐるみのイベントが開催されていて、迎賓館の玄関前ではマルシェが開かれていました。普段は駐車スペースのようです。
なお、大磯オープンガーデンは5月15日(金)~17日(日)にも開催されます。

大磯迎賓館 外観
当初この建物は旧山口勝蔵別荘とされていましたが、その後の調査で明治末期に島津邸(佐土原藩)の土地の一部を貿易商・木下建平が買い取り、別荘を建てられたことが判明したようです。もっとも、建てて7年後には親戚の山口勝蔵に譲り渡したみたいで、木下家としてはそれほど使わなかったということになりますね。

大磯迎賓館 車寄せ
こちらの建物の特色として外せないのはツーバイフォー工法として国内最古の部類ということですが、ツーバイフォーとは何なのか・・・頑丈ということ以外、いまいち頭に入ってきません(^_^;

昭和30年あたりから長らくレストラン「ドゥゼアン」として使用された後は、取り壊しの危機もあったようです。
前回大磯を訪れた時は、ちょうど閉店された後で、外から眺めるだけでした。現在はめでたく大磯町所有となり、小笠原伯爵邸で近代建築レストランの実績もある会社が借り受け「大磯迎賓館」としてイタリアンを営業中。
その際に建物の後ろに新館を設けたようで、そちらがメインダイニングになっています。
ということで、小笠原伯爵邸と違い、厳密には近代建築の中で食事をするという訳ではないみたいですね。ここでランチでも良かったのですが、あいにく予約でいっぱいで入れませんでしたけど、まあ、新館ならここで食べなくてもいいか、と諦めがつきやすかったです(笑)。

大磯迎賓館 ステンドグラス

本館の方はウェディング会場やレンタルギャラリーとして使っているようで、この日もカップルが下見に来ていました。内装はどの部屋も割とシンプルですが、2階の一部屋は大きなステンドグラスが入っています。窓から見える相模湾をデザイン化したようにも見受けられますが。

大磯迎賓館 南の窓
窓からの眺めがこの館一番の見どころだった・・・と思いますが、新館の屋根がちょっと邪魔かも(笑)。昔は芝生だったそう。

大磯迎賓館 2階廊下

外観が下見板張りだったり、内部も過度な装飾はなかったりと、割とシンプルですが、凝ったドアノブや漆喰の装飾など、ワンポイントで見せます。肩肘張らない洒落た洋館という感じで住むにもよさそう。
大磯迎賓館 2階ステンドグラスの部屋 大磯迎賓館 ドアノブ

竣工 :大正元年
所在地:中郡大磯町1007
構造 :木造3階 地下1階 大壁造り
設計 :小笹三郎(推定)

●旧池田成彬別荘
国道1号線から見える「大磯こゆるぎ緑地」という案内板を細い道へ入るとすぐに見えるのが旧池田成彬(しげあき又はせいひん)別荘。

旧池田成彬別荘 外観
もとは西園寺公望が明治32年から住んでいたのを、のちに三井銀行の大番頭(後に大蔵大臣などを歴任)・池田成彬が土地を譲り受け、昭和7年に現在の洋館を建てました。
三井銀行の人だけにそののちは三井の所有となり、三井住友銀行寮として使われた時期もあったようです。

旧池田成彬別荘 側面
今は門にはセントラル警備保障のシールが貼られ、「無断立ち入り禁止」に無粋な鉄柵。
よく見えないながらも建物自体も大きく、パーツパーツも大きくちょっと大味な感じもしなくもない外観・・・・。

旧池田成彬別荘 バルコニー
隣接の駐車場からバルコニーが見えましたが、手すりなど、なんの装飾もなく、財界人の別荘という感じがあまりしないですね。長楽館みたいに中はすごい、というパターンでしょうか。

ちなみに、池田成彬の長女の敏子は前出の岩崎久弥の次男の隆弥に嫁いだのですね。素人考えだと三井と三菱ってライバルというイメージなのでなんだか面白いです。

竣工 :昭和7年
所在地:中郡大磯町西小磯
設計 :曾禰中條建築事務所 

●旧伊藤博文邸・滄浪閣(そうろうかく)
この小道を挟んだ向かいの滄浪閣も無人で現在使われていません(こちらの防犯はアルソック)。
2007年まで大磯プリンスホテル別館として使われていましたが、付随施設や木々に囲まれてそこにあるはずの洋館は残念ながら外からは見えません。白い建物奥の屋根がそうなのでしょうか。
旧伊藤博文邸・滄浪閣前の中華レストラン

滄浪閣は伊藤博文の死後、養子博邦が大正10年に朝鮮王家の李垠(りこん)殿下に譲渡。関東大震災で倒壊後に再建。戦後、運輸相などを務めた楢橋渡氏の手を経て昭和26年に西武鉄道が買収。そういえば、赤坂プリンスホテルの旧館も李垠の邸宅でした。

現在プリンスホテルは西武鉄道、コクドなどと共に西武HDに統合されています。一時、地に堕ちたと言われた西武ですが、現在は再上場も果たし復活しています。再建の手始めになされたことがホテル・レジャー事業の赤字事業の売却でした。それは2005年からのことで、まさに滄浪閣もその一つ。復活とかいう前に何とかしていたらもっとねえ。プリンスホテルって他にもいろいろ近代建築で事業していたのでそう思わずにいられぬ・・・。

竣工 :1926(大正15)年竣工
所在地:神奈川県大磯町西小磯85
構造 :地上2階、レンガ造り瓦葺
設計 :中村與資平         

●日本基督教団 大磯教会 
大磯教会 正面
地元で有名な井上蒲鉾店の近くにある、小さくてかわいい教会です。
昔は右の1階の屋根はなく、左と対象の窓があったり、建物の色も違ったようです。
老朽化から一時は建て替えの話も出たそうですが、修復の道を選び、ちょうど訪れた日に竣工見学会が開かれていました。以下、その時の説明メモ。

大磯教会 側面
礼拝堂の後ろの集会室は建て替えを選択。

大磯教会 内部
床も腰壁もオリジナルを残せた。

大磯教会 2階和室窓

大磯教会 2階和室 あべきんぞう(?)牧師の時代に造られた(昭和
 12年)。
 あべの父は弘前教会を設計したクリスチャン
 棟梁の櫻庭駒五郎の養子。
 設計・施工は不明ながら、その父にここのデザ
 インは参考としてきいた。
 造るんならお父さん(駒五郎)の教会を見なさい
 と言われた。
 2階が和室なのはその影響(弘前教会にも2階
 が和室がある)。







大磯教会 ステンドグラス
入口のステンドグラス。濁ったような色のガラスはもう作っていない。
直すとしたら明るい色になってしまう。オリジナルを残すのに一番安かったのが、現代のガラスを両方から挟んでサンドイッチする方法。
松本ステンドグラス製作所に修復してもらった(こちらの製作所は前出の赤坂プリンスホテル旧館・旧李王邸のステンドグラス修復も1997年に行っている)。

大磯教会 窓
隣の家から近い部分の窓は防火のレベルが高い窓でないといけない。
そのため外側に鎧戸の鉄扉をつけてある。法律が変わったら取り外しも可。
黄色のガラスはもうなくて直せない。

竣工 :昭和12年
所在地:神奈川県中郡大磯町大磯1348 
参考 :今後文科省の登録文化財かつ、国交省の重要景観建造物になる予定 
  
(今日のおまけ)
冒頭に書きましたように、別荘地として有名な大磯ですが、現在では老朽化に伴い、壊され代わりにマンションになってしまうことも多いようです。
もらったガイドマップに載っているものでは、洋館では、三井守之助別邸が比較的最近取り壊されてしまった模様。いつか分からないものでは、かのジョサイア・コンドルが建てたという赤星弥之助邸(コンドル自身も吉田茂邸隣地に別荘を保有)。せめて今ある滄浪閣などはうまく再生してほしいです。

三井守之助別邸

赤星弥之助邸

(参考文献)  神奈川の近代建築 残照  朝日新聞横浜支局編
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