2015.10.20 ●川奈ホテル
川奈ホテル
8月末、ホテルオークラ本館が惜しまれながら営業を停止しました。
これからオリンピックを見据え、建て替えが始まります。
このホテルを創業したのが、旧大倉財閥の二代目大倉喜七郎。そして今回宿泊した川奈ホテルの創業者でもあります(喜七郎は川奈ホテルでホテルオークラの構想を練ったのだとか)。
川奈ホテルはもともとはホテルではなく、伊東で静養していた喜七郎が、当時まだ道路も通っていなかった川奈の地を訪れて、かつて留学していたイギリスに思いを馳せ、牧場を作ろうと、大正末期に広大な土地を購入したのが始まりでした。が、いざ作るとなると、溶岩台地である川奈は土地が痩せていて牧場はムリと判明。代わりにゴルフ場となったのでした。

このお話は川奈ホテルの説明として、大抵の建築紹介本に書かれているのですが、その経緯についての記述は様々でなかなか面白いです。例えば、 『ホテルクラッシック』ではあっさりと「芝ならなんとか育つ」ということでゴルフ場になったと説明。藤森先生の『建築探偵 奇想天外』では「土地が痩せているので半分だけ牧場、残りはゴルフ場にすることにしたが、担当者との意思疎通を欠いたため、なんだかすべてゴルフ場になってしまった」。
一方、『日本の駅舎とクラッシックホテル』では、担当者の独断でゴルフ場となり、完成後にそれを知った喜七郎が呆然と立ち尽くしたというのはさすがに伝説だろう」。最もそれっぽいのは『ノスタルジックホテル物語』で、雑誌『清朝45』1986年11月号 山本幸子『川奈ホテルの創世記』を挙げて、「ロンドン帰りだった整地担当者が喜七郎にゴルフ場にしてはと進言した」というものです。
何だか言っていることがみんな違う(笑)。まぁ、いずれにしても、とにかく牧場には向かないのでゴルフ場にしましたということでしょうか。

川奈ホテル 全景
当初は喜七郎の周辺関係内でだけ楽しむゴルフ場だったのが、評判が広まり要望に応え、ホテルを作って一般の人も利用できるようにしたようです。

今回、海側指定で宿泊しました。さすがに見晴しがいいのですが、曇っててちょっと残念。翌日は雨で、結局、庭側から写真を撮る機会も逃してしまいました。しまった。。。
にしても、ベランダから水平線が見えるどころか、地球が丸いことが感じられました。
川奈ホテル シーサイド

部屋はごく普通に料金に見合う広さと調度品でしたが、なにやら客室エリア全体がこもった空気で妙な圧迫感・・・。
川奈ホテル 部屋

建物の外観は温暖な気候によく似合うスパニッシュ様式ですが、内装はイギリス贔屓の喜七郎らしく英国式カントリーハウスを基調としています。

(玄関入口)
玄関入口、扉の把手はゴルフボールとクラブをモチーフに作られています。部屋にあったマドラーもアイアン。
川奈ホテル 玄関 川奈ホテル マドラー

玄関入って左、現在クロークになっているところが開業当時はフロントでした。
川奈ホテル クローク 川奈ホテル フロント

(メインロビー)
川奈ホテル メインロビー その1

川奈ホテル メインロビー その2


川奈ホテル メインロビー その3

川奈ホテル メインロビー その4
川奈ホテルと言えばやはりメインロビー。広々とした空間に立派な暖炉。バランスが取れているため、写真ではわかりませんが、暖炉横に置いてある熊のぬいぐるみは2m以上の巨大なもの。いかに暖炉が大きいかが分かります。
なお暖炉には、今も12月下旬から薪がくべられるそう。
クリスマスに来るとまた素敵でしょうね。

川奈ホテル メインロビー その5
暖炉の反対側、階段部分の柱には大理石が張られています。客室にあった探索マップの説明書きによると、これに携わったのが「矢崎大理石会社」。国会議事堂を手掛けた業者で、議事堂が出来たのが昭和11年11月7日。このホテルの竣工と重なり大変だったかもしれません。
大理石の張り合わせ部分が見どころで「シマ合せ」という職人技が施されています。

(第二ロビー)
川奈ホテル 第二ロビー その1

川奈ホテル 第二ロビー その2

川奈ホテル 第二ロビー その3
メインロビー隣には第二ロビーがあります。2階部分に学士会館のオーケストラボックスのようなものがありますが、これは映写室。今は使用出来ないそうですが、かつては窓の枠にスクリーンを作成し、映画鑑賞会が行われていたそうです。

(サンパーラー)
川奈ホテル サンパーラー
川奈ホテルの紹介でロビーのほかよく見るのがサンパーラー。ちょうど翌日がウェディングフェアというとで、夜には椅子など入れ替えられていました。近代建築度は低いですが、昭和12年2月には与謝野晶子が「海に添う 東日本をことごとく 望み見ぬべき サンルウムかな」といううたを残しています。

ダイニングなどは次回ご紹介。。。

(参考文献)
  

(今日のおまけ)
 今回、宿泊前の予習として、足しになるかなーと思い、喜七郎の父であ
 る喜八郎の評伝『大倉喜八郎 その豪快なる生涯』を読んでみました。
 実際、読んでみると喜七郎のことはほとんど出てこなくて (^_^; 、予
 習にはなりませんでした。
 しかし、喜八郎がありとあらゆる事業を起こしたことに感嘆。三菱、三
 井、住友などが財閥解体後も復活する中、大倉だけが復活できなかった
 ため、普段意識することはないですが、自分も知っている企業の元が大
 倉と分かってびっくり。靴のリーガルとかコラーゲンのニッピとか
 帝国ホテルとか。。。
 ライトが帝国ホテルを作る時、予算をものすごいオーバーして大変だっ
 たという話は知っていましたが、その莫大な追加費用を用立て支援した
           のが喜八郎だったのですね。
個人的には、四季報で見ると、ニッピ(旧日本皮革株式会社)とリーガル(旧日本製靴株式会社)が、今もお互いの大株主同志というのが、昔からの繋がりが感じられて面白かったです。
ちなみに、川奈ホテルを建設したのはもちろん身内の大倉組土木(のちの大成建設)でした。
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