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旅館の広々とした玄関。
三養荘 フロント 三養荘はもともとは三菱財閥の第三代総帥だった
 岩崎久彌が昭和4年に建てた別邸でした。
 当時64歳の久彌は既に社長を退き(大正5年)、
 小岩井農場の運営に注力していたそうです。
 戦後の財産税のあおりでしょうが、昭和21年に堤
 康次郎に所有が移ります(それでプリンスホテル
 系な訳ですね)。

 それを三養荘として営業開始したのは昭和22年の
 こと。伊豆長岡温泉の中でも屈指の旅館で、天皇
 皇后両陛下・皇太子などが度々ご宿泊されまし
 た。「銀の匙」で有名な中勘助も宿泊記録があ
 るようです。
 現在、玄関口となっている方は隣にあった白石旅
 館を買い取って建てた新館部分です。
 ということで旅館2つ分(4万2000坪)という広
 大な敷地。これだけ広ければ上に建てる必要もな
いようで、建物はほとんど平屋です(そのため、食事や浴場への移動に歩くこと歩くこと…)。

三養荘 全体図
中央グレーの道路より上半分が旧岩崎別邸、下半分が旧白石館。

三養荘 浮舟 外1 三養荘 浮舟 外2
泊まったのは村野藤吾が建てた新館の「浮舟」という部屋でした。
旅館の配置図をみると、南に位置する新館は2部屋が続きになっているものが多く、施錠された戸でつながっているようでした。なので、その気になれば行き来できるのでしょうが、「浮舟」だけでも本間のほか、次の間、化粧間があり実感としては家族4人で泊まっても広すぎるくらい。

三養荘 浮舟 本間
トンネルのような形の床の間は主に茶室に用いられる形式のひとつで洞床(ほらどこ)の一種・龕破床(がんわりどこ)というものだそう。

三養荘 浮舟 次の間 三養荘 浮舟 廊下

三養荘 浮舟 内風呂 今回、三越の平日限定宿泊クーポンというのを
 使ったので、部屋はお任せで通常料金もよく分
 からなかったのですが、じゃらんで検索してみる
 と化粧間もあって内湯もついているプランは平
 日でも28,000円くらいだったので、やっぱり
 三越クーポン(21,600円)使ったのはお得だっ
 たのかも(食事のコースランクも不明なので断
 言はできませんが・・・)。
 三越クーポンは定期的に三越で販売されていて、
 フツーの一般客でも買えます!
 ただ特定日だけの販売なので、友の会などに入っ
 ていないと予め販売日を知るのは難しいかも。

 一応、一続きの建物に客室がつながっている訳で
 すが、実際は「離れ」の感覚に近く、庭に出ても
 他の客に見られることもなく、内風呂もガラス面
 でも見られる心配もなし。

三養荘 本館広間
夕食は本館広間もくせいへ。こちらは戦後建てられたものですが、それでも物凄い太い柱。

料理はオーソドックスな盛り付け・品でしたが、どれも美味しゅうございました。その中で目も気も引いたのは赤梅甘露煮。大振りで人形町・凡味の太郎梅を思い出します。
それから、これぞ伊豆、というのが締めのご飯のときに出てくる山葵。これをご飯にのせてちょっと醤油をたらして食べます。

三養荘 夕食1三養荘 夕食2三養荘 夕食3
写真のほか、煮物、小鍋、水菓子がつく。

大広間へ行くときに必ず通るのが、今はバーとして使われている、「狩野川」。こちらは関東大震災後の復興を指揮したことでも知られる後藤新平の田舎家を移築(昭和25年)したものです。家屋の一部を移築したようで、独立はしておらず、広間の隣にピタッとくっつき建物のひと部屋となっています。

三養荘 バー1

三養荘 バー2
バーと言っても開店休業っぽい感じ。すぐ近くの古奈別荘の洋館もこんな感じで喫茶営業の気配がありませんでしたっけ。。。

三養荘 バー3

三養荘 バー4 三養荘 バー5
遠目には「ん?トイレのマーク??」に見えたのはダンスをしている男女。まさか田舎家時代にそんなものを取り付けたとも思えないので、バーになってからのものかと。

三養荘 全景
宿泊客には翌朝9時から本館庭園のガイドがあるということで、参加してきました。
小さい子には(大人も?)頼めば鯉にやるエサも頂けます(^0^)

庭園入ってすぐにある石の塔は経歴が不明。従業員に伝わる話では韓国のものということだったけれども、古い書物に唐時代の中国のものと載っていたものの、写真がないのでそれもはっきりしないのだとか。
三養荘 石塔

三養荘 老松

三養荘 老松 三養荘 老松 鞍馬石
本館「老松」はもともとは応接間兼客間として使われていました。縁側の沓脱石は京都の鞍馬石で、現在ですと、石だけで一千万円下らないのだとか。かなり深く掘って埋めてあるそうで、見えないのに大きな石を使うところがさすが大金持ちって感じ・・・

何故これだけ大きな石を土台にしているかというと、客間ということで、庭に出る時に下駄を12足くらい置けるようにわざわざ大きな石を置いたとのことでした。と言っても、居間の沓脱石もすごくおっきかったですが・・・。まあ、岩崎家は大きな石が好きな人々ですしね。

鞍馬石について:名の通り京都府鞍馬山系で産出され、鉄分が多い為、表面が赤茶色・錆色
 になっています。
 今はほとんどとれなく、丹波や甲州の鞍馬石に対し本鞍馬石と呼ばれることも。
 特に大形の沓脱石は産出量が非常に少なく、ステータスシンボルといえます。

三養荘 松風
岩崎家別邸の時代には、居間として使用されていた「松風」。画像右の建物は小督(こごう)。
庭園の中央に位置し、山に対しても池に対しても真正面。
主の久彌の部屋であったこちらの床の間からの眺めが一番ということですね。
昔は東屋が山の方にあって、そこから自分の部屋を眺めていたそう。

三養荘 松風から見る庭
「松風」から見おろす庭。植治こと七代目小川治兵衛により作庭され、庭木・石の配置など京風です。ちなみに、岩崎家と植治の繋がりとしては、久彌のいとこである第四代総帥・岩崎小彌太邸の跡地(現在:国際文化会館)に庭が残っているそうです。

今、久彌の時代の建物で残っているのは4棟ほどで、画像左に見える離れは後年の建物。2000坪もの庭を潰して新たに客室を作ったため、今の庭は3000坪ほど。久彌が眺めたであろう庭とはかなり違っているのでしょうが、それでも今なお宏壮な景色です。

 (参考文献)  匠たちの名建築 稲葉なおと著

(今日のおまけ)
沼津御用邸 正門沼津御用邸 ビリヤード場沼津御用邸 洋館写真1沼津御用邸 洋館写真2
帰りに近くにある沼津御用邸記念公園を見学しました。残念ながら終戦間近の空襲により洋館などは燃えてしまい、今は和館の西付属邸が残るのみ。一部、増築された御玉突所(ビリヤード室)や正門が西洋風です。
なお、写真の洋館は御用邸としては最初で最後のものでした。片山東熊が設計したものだそうで焼失しまって本当に残念です。

正門について(看板の説明文引用) 
この正門は明治時代、大正天皇の皇太子時代に御用勤務の医師を務めたエルヴィン・ベルツ博士の縁により、ドイツのゾーリンゲンで特別に造らせた鋳鉄製の門で、長い歳月を経て、当時の姿を今日に伝えています。
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