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建物一斉公開イベント「オープン!アーキテクチャー」が今年も開催されました。
マイレージの期限が切れそうだったので、有効活用すべく今年は足を伸ばして大阪のイベントに参加。
朝5時起きでイベントの1時間前に空港到着という結構無理な、いやいや無駄ないスケジュールでございました。

高島屋東別館 全体

午前中は高島屋東別館の見学に参加。ここは、大阪の人でも意外と知らないそうですが、もともとは松坂屋の大阪店だったそうです。経緯としては。。。

昭和41年 松坂屋が天満橋へ移転し空き店舗になる
昭和42年 高島屋が施工した竹中工務店から1年間賃借。その翌年に買取。
昭和45年 株式会社創立50周年記念に3階に資料館開館

といった感じ。今はブライダルサロンなんかも入っていますね。

建物は大きく分けて建築年別に3期に分けられます(厳密には4期)。

1期:南側 昭和3年
2期:北側 昭和9年
3期:真ん中 昭和12年

ただ、頂いた資料や建築本などを見ますと1928年(昭和3年) の部分は竣工の記載がないです。
これは大正12年竣工の真ん中・木造部分と統合されて昭和12年に竣工という扱いになっているからなのかな? 木造部分は取り壊した上で建てたのでしょうが、昭和3年部分の建物については、今でも内部に当時の階段などが残っています。

なお、出来上がった当時は名古屋の松坂屋本店よりも大きく、東洋一だったとのこと(店舗総面積13,200坪)。
設計は鈴木禎次。彼は東海建築界の大御所であり、それで名古屋が本拠地の松坂屋は彼に本店始め、支店もいろいろ頼んだということでしょうか。

ちなみに、夏目漱石の義理の兄弟(奥さん同士が姉妹)という縁で、雑司が谷にある漱石のお墓のデザインも彼が手がけたそうです。

(建物:表)
見学はまず外装から。連続する半円アーチとふんだんに使われたテラコッタが華やか。

高島屋東別館 アーチ

高島屋東別館 おす
「おす」 角ばってていい感じ。

1階表は70m続くアーケード(ガレリア)。これは建物の価値を高めるためのセットバックであり、価値という点ではアカンサス(葉あざみ)が至る所にモチーフとして使われています。
アカンサス=価値のあるものというサインだそうで、つまり、これだけ建物にアカンサスが付けられているということは、この建物がいかに立派で価値があるものかということを示したかったと読み解くことができます。

高島屋東別館 アカンサス1高島屋東別館 アカンサス2高島屋東別館 アカンサス3高島屋東別館 アカンサス4
至るところにアカンサスのモチーフが

お札のアカンサス解説では、実は私たちの身近なところにもアカンサスがある、という話になり、「お!」と思いました。これってつい先日も旧岩崎庭園のガイドでも聞いたのですよ。こうやって知識が繋がっていくのって楽しいです。
身近にあるアカンサス・・・それはお札です。
千円よりも1万円の方が価値がるので、アカンサスももちろん額があがる度に大きく立派になっていきます。
←こんな感じ(ちなみに私の全財産)。


鈴木禎次のデザインは角に特徴があるけれど、北側の角地の買収には失敗し、残念ながら建築本によっては角地でオレンジの牛丼・吉野家が目立ってたりします。

高島屋東別館 裏(建物:裏)
裏側から見ると建物がでこぼこしていて1期~3期のつなぎ目がなんとなく予測できます。
1期は最初は6階建てだったのが、2期の建物にあわせて7階建てになったそう。
昭和12年、3期が終わった後、すぐ4期にとりかかったものの昭和15年、戦争が激しくなり、工事中止命令が出て、工事中でも鉄材を提供せよとの血も涙もないお達し。結局、再開して完成することはなく、今は平屋部分(画像手前部分)にその名残があるのみです。

(3階)
内部についてもいろいろ写真は撮ったのですが、聞き伝わったところによりますと、ブログへのアップは不可らしいので、残念ながらここから文字のみでのご紹介。。。

まずエレベーターホール。普通、デパートというのは2階までをメインと考えるらしいのですが、松坂屋では3階までその扱いで、このエレベーターホールの装飾も華やかにしてあるようです。
ほかの階よりも素材も上質なものを使い、黒い柱は大垣産大理石の黒みの(?)。
通風孔なども鈴木事務所の若手が設計。
造りの細かさや天井の高さ、空間の使い方(直線で造るのが一番効率が良いけれど曲面豊かにするなど)などで格が分かります。

なお、3階のエレベーターホールは地下よりもお金がかかってます。普通、3階よりも地下のほうがデパートのフロアとしては価値があるので、そう考えると地下の方が立派なエレベータホールになるはずなのに、なんでなのかなあ。。。と案内してくれた高島屋の方は言っていました。
造ったのは松坂屋なので同じ業界でも考え方はちょっと違うかもという話も。

資料館前のエレベーターには「下リ・上リ」でなく「満員」なんていうランプもありました。

(6階)
今は社員用の喫茶ルームがあるところ。
その昔、6・7階だけ進駐軍に接収された(大阪ではそごうも接収された)そうです。
松坂屋だった頃は6階に結婚式場があり、若い女性のあこがれだったとか。
結婚式場などは営業面積が申請通りに取れないので入れたみたいですが、しつらえがいい分、接収の対象とされたようです。

(階段)
商業店舗として使わなかったので割と当時のままの形で残っている内部ですが、高島屋になってから唯一つけたのがこの階段で、村野藤吾事務所のデザイン。
そういえば、東京の高島屋も村野さんが改修を手がけていましたね。

(メインのエレベーターホール)
天井の高さが贅沢。天井には寺院なんかの垂木の和風イメージの装飾。
壁はさらさという和のイメージの大理石。3階にもあった黒の大理石。床も大理石。
その豪華さで松坂屋の大阪進出の意気込みが伝わってきます。

(中2階)
天井が高いので中2階とは思えませんが、デパートだった頃は「カトレア」という名の喫茶でした(高島屋といえばバラ、松坂屋と言えばカトレアということで)。今はコンクリートで塞がれており、手すりのアール・デコ調のアイロンワークのみ見ることができます。
この脇には階段があり、手すりと繋がったショーウィンドウが残されています。建物の中にショーウィンドウというのは今ではあまり見かけない造りです。
ここの柱には3つの通風孔(アイロンワークの手すり横)が取り付けられていますが、意匠は3つとも違えて凝ったもの。

(階段)
昭和3年建設時からある階段(南側の古い階段)も見せて頂きました。

日本の近代化=西洋化と思ってよく、西洋の方が技術が進んでいるので、西洋の素材を作ることが近代化であり、最新の技術を導入しているということでもありました。

通風孔や床材というのは、設計者側からすると、その当時の一番の材料を使いたいところだそう。
ここの床材は当時自分たちが使うことのできる一番新しい技術を使ったもので、亜麻に(天然素材のリノニム)。 
岡本太郎 ダンス自然の素材を使った床材として次に現れるのはゴムタイル。またしばらくたつと、ついに化学製品が登場。・・・と、日本の技術の発展に合わせて床材も変わってゆきます。

手すりは大理石ではなく、磨き出し。職人が研いでいって光沢を出す技法で昭和半ばの小学校などはこの技法が多く見られます。

この後、かつてここの地下に保管されていた岡本太郎のモザイク・タイル壁画「ダンス」を見に高島屋大阪店へ移動。
7階に展示されており、今は誰でも見ることができます。

高島屋東別館 表(建築データ)
竣工 :1934年(昭和9年) +1937年(昭和12年)
所在地:大阪府浪速区日本橋3-5-25
設計 :鈴木禎次
施工 :竹中工務店
構造 :鉄骨鉄筋コンクリート造7階建、地下2階




(今日のおまけ)
建物の向かいから写真を撮っていると・・・初老のおじさんが2人歩いてきて、片方がもう一方に何かを指さしながら「俺はあれできるけど、おまえできへんやろ。俺は毎日やってるで」とかなんとか言ってます(大阪弁が不正確なのは勘弁)。
「あれ」って何だろ??と振り返って見てみたら・・・そこにはフィットネスの募集ポスターが(思わず写真撮ってしまった・・・)。
フィットネス

え??これ、できるの?するの?  
朝っぱらから大阪のおじさんのホラに脳天打ちぬかれた。

(参考文献)
大大阪モダン建築大大阪モダン建築
(2007/10/20)
不明

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